「従来保守vs改革保守」の構図は無理筋
「非自民・非共産の改革保守勢力の結集」というお題目は、小選挙区制度の導入以降、野党陣営に重くのしかかっていた。希望の党騒動に沸き立ったメディアは、騒動が惨めな失敗に終わった後は、今度は維新にその役目を背負わせ、ここ2年ほどは明らかに歪んだ「維新上げ、立憲下げ」を繰り返してきた。
しかし、自民党が2大勢力の一翼に厳然と存在するなか、彼らは常に「自民党との距離感」を問われ続け、やがて「与党寄り」「野党寄り」に分裂していった。
そろそろ「従来型保守vs改革保守の保守2大政党制」は無理筋だ、と認めるべきではないか。政界の自然の摂理に反している。「自己責任」の社会を志向する自民党vs「再分配を重視する支え合いの社会」を掲げる立憲民主党、という大きな対立軸をつくり、衆院選で有権者が「日本の目指すべき社会像」を選択する。こちらのほうが「非自民・非共産の改革保守」より、政界の構図としてはるかに安定するはずだ。
もっとも現在、筆者は「改革保守勢力の結集」それ自体が、全く意味を失ったとは考えていない。筆者が想像したよりはるかに早く、自民党が崩壊過程に入っているからだ。
いつか自民党が分裂するとか、派閥解散どころか党自体が解散するとかいう事態になれば、もしかしたらその時には「自民党に代わる新たな保守勢力の再編」が必要になるかもしれない。立憲民主党中心の政治勢力との対立軸となるために。