将来有望な人物を採用するにはどうしたらいいか。Jリーグで唯一消滅したクラブ・横浜フリューゲルスの監督を務めた加茂周は、ユニバーシアード日本代表の山口素弘に「読売(クラブ)と日産(自動車)を倒すサッカーをする。やりたかったら来い」と声をかけた。山口は面白いことを言う人だと興味を持ち、勝負師の怖さ、迫力を感じたという。田崎健太氏の著書『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』(カンゼン)より紹介する――。

※本稿は、田崎健太『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』(カンゼン)の一部を再編集したものです。

サッカー場で選手に指導するコーチ
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「わしはな、お前のためにこのチームに来たんだぞ」

前田治によると、90~91年シーズンの途中から顧問の加茂周が、しばしば練習見学に来たという。

「チームの雰囲気を把握したいということだったようです。俺たちも、ああ、(来季から)加茂さんが監督になるんだという感じになってました。加茂さんが、こんな練習量じゃ勝てないと言っていると栗(本)さんから聞いていました。

栗さんと加茂さんはすごく仲が良かったんです。午前午後で2部練(習)するという話だったのに、午前中ちょっと長めに練習したら、今日はもういいかと午後練(習)がなくなったり、ということもあった」

ある日、前田たち主力選手は加茂、栗本、そしてヘッドコーチに内定していた木村文治の三人から呼びだされた。

「(横浜市)関内のふぐ料理屋でしたね。選手は反町さん、石末さんたち五人ぐらいいたのかな。酒を飲みながら、色んな話をしようということでした」

前田が酌をしに行くと加茂は「ここに座れ」と隣りの席を指さした。そしてこう続けた。

「治のことは(帝京)高校から見ていたよ。全日空の1年目も良かった。でも最近、全然良くないな、お前、このままでいいのか」

前田は即座に「もちろん、これで終わりたくないです」と答えた。

加茂は前田の顔をじっと見た。

「わしはな、お前のためにこのチームに来たんだぞ」

お前を復活させるために来たんだと繰り返すと、「お前もそう思うんならば、やれ」とぶっきらぼうに言った。

「もしかして、みんなに言っていたのかもしれません。でも、この人がそこまで言ってくれるんだったら、ひと頑張りしたいって思うじゃないですか。ぼくはおだてられると木に登ってしまうタイプ。そんな風に言われて何もしないなんてありえないです」