1999年元旦の天皇杯決勝を最後に横浜マリノスに吸収合併された横浜フリューゲルス。最後の夜にクラブのメンバーは何を思ったか。選手会長の前田浩二は「終わったときは勝利を掴んだという喜びだった。しばらくして、こんないいチームがなくなってしまうんだという悲しみ、全日空に対する怒りが湧いてきた」という。田崎健太氏の著書『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』(カンゼン)より紹介する――。
※本稿は、田崎健太『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』(カンゼン)の一部を再編集したものです。
天皇杯決勝の国立に足を踏み入れて感じたこと
12月13日、天皇杯が始まった。Jリーグのクラブは3回戦から参加、フリューゲルスは大塚製薬(現・ヴォルティス徳島)に4対2と勝利した。4回戦ではヴァンフォーレ甲府を3対0で下し、ベスト8入りを決めた。
そして準々決勝でジュビロ磐田、準決勝で鹿島アントラーズに勝利。合併発表後8連勝、クラブ通算150勝とした。
そして残り1試合――1月1日に国立競技場で行われる天皇杯決勝、清水エスパルス戦を残すのみとなった。
全日空スポーツ営業部の今泉は、決勝まで天皇杯には同行しなかった。
「選手からなんで来ないんだって言われたこともありました。ただ、ぼくは現場のスタッフではない。中には試合に行く人間もいましたが、ぼくたちはぼくたちの仕事をする、お前たちはお前たちの仕事をしてくれ、元日に国立(競技場)で待っていると言いました」
トーナメント制で行われる天皇杯は勝ち上がりと同時にチケットの割り当てが決まる。クラブの買取分をすぐに販売しなければならない。
「覚えているのは、準々決勝でジュビロに勝った直後、準決勝の長居(陸上競技場)のチケットを佐藤工業の大阪支店に買ってもらったこと。大阪支店は、フリューゲルス最後の試合になるかもしれないと引き受けてくれました。結構な枚数のチケットを大阪まで届けましたね。もちろん試合当日は行っていません」
決勝が行われる元日の朝、今泉は自宅のある新横浜から国立競技場に入った。明治神宮外苑に隣接した国立競技場の一帯は人気がなく、凜とした空気だった。
「朝の9時ごろ国立(競技場)に一歩踏み入れたとき、風が冷たかったことを覚えています」