※本稿は、田崎健太『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』(カンゼン)の一部を再編集したものです。
「どうするの、俺ら」と半ば放心状態の選手たち
この日、ゴールキーパーの楢﨑正剛は大阪にいた。
前夜の10月28日、長居スタジアムで日本代表対エジプト代表戦が行われた。代表監督に就任したフランス人、フィリップ・トゥルシエの初戦である。朝早く部屋の電話が鳴った。もう少し眠りたいと最初は無視していた。しかし、あまりに続くので受話器を取った。
「本当なのかというのが最初の感想でしたね。それで何人かの選手に確認をしました。その後、新聞も読んだと思います。すごいことになっていると思って、とにかくすぐに(クラブハウスに)向かうことにしました」
監督のエンゲルスが合併を知ったのは、クラブハウスに向かう車の中だった。
「ラジオでフリューゲルスのニュースが流れたんです。ぼくは合併という日本語を知らなかった。サッカーでは使わない言葉だからね」
グラウンドに着くと大勢の報道陣が待ち構えていた。いつもとまったく違った雰囲気だった。クラブハウスに入り、今泉に何が起こっているのかと訊ねた。
「合併という単語を(日独)辞書で調べたような気がする。2つのクラブが対等に合併するならば、悪いことではないと思った。2チーム分の監督やコーチングスタッフ、選手をどうするのか。それをまず考えた」
しかし、実際には合併ではなかったね、と顔を顰めた。この日は午前中の練習となっていた。とても練習できる状態ではない。練習は午後にずらすことになった。
9時半からクラブハウス2階にある会議室で、エンゲルス、選手たちは山田、中西たちの説明を受けた。
手嶋は山田、中西の隣りに座った。
「全日空としての決定だったので、説明は山田、中西がした。選手たちは、なぜもっと早く教えてくれなかったのか、相談してくれなかったのかと。新聞報道で合併を知ったことの怒り、不信感がありましたね」
山口の証言だ。
「合併に至る経緯を詳しく説明してくれるのかと思ったら、本当にペラ一枚の紙が配られて、書かれていることを読むだけでした。それだけで出ていってしまったので、キツネにつままれたような状態で、どうするの、俺らって感じでしたね」
半ば放心状態の選手たちは、そのまましばらく会議室に留まった。