どうして僕らの生き甲斐であるフリューゲルスを取りあげるんですか
翌日の新聞は、選手たちの戸惑い、諦めの声を拾っている。
「納得? 納得するもしないも、もう決まったことだから」と前日本代表の山口主将がイレブンの気持ちを代弁すれば、川崎から今季完全移籍して新天地を見つけた永井は「まださっき聞いたばかりなので、何とも言えない。サッカーのクラブの吸収合併は銀行とは違う」と今後訪れる大量解雇の不安を口にした〉(「スポーツニッポン」10月30日付)
この記事では楢﨑の去就に重点が置かれている。合併先のマリノスには川口能活がいたのだ。マリノス〈球団関係者〉の「ゴールキーパーは川口一人で十分」という言葉も載っている。大阪から戻った楢﨑は、マリノスに移籍するのかと取材陣から問われ、「分かりません」とぶっきらぼうに答えている。
この日の午後、Jリーグ臨時理事会が開かれ、マリノスとフリューゲルスの合併が承認された。Jリーグ規程には、リーグ脱退は一年前には申請しなければならないと書かれていた。超法規的措置である。
翌30日、十数人のフリューゲルスのサポーターがJリーグに現れ、チェアマンの川淵に面会を求めた。約束のない訪問であり頭に血が上った人間が突発的な事件を起こす可能性がある、事務局の人間は会わないほうがいいと川淵に忠告した。しかし、川淵は逃げていると思われるのは嫌だと、部屋に入れるように指示した。
涙目でそう訴えられて、僕も泣いてしまった。本当にその通りだ! それでも必死で気を取り直して、納得はいかないかもしれないが、いろんなことがあって単独ではやっていけないんだと説明した。
言葉を荒げることもなく、彼らは「よろしくお願いします」と言って帰っていった。礼儀正しい青年たちだった〉(『「J」の履歴書 日本サッカーとともに』)
これまで分裂していたサポーターグループが初めて一堂に会したのだという。心は痛んだが、前に進まねばならないと川淵は自分に言い聞かせた。
最悪の選択肢はチームの解散だった。フリューゲルスは合併という道を選んだ。合併したクラブを残すことを第一義とすべきだった。
川淵は、この日開催される選手委員会に〈チェアマン私案〉を準備していた。Jリーグでは一定以上の試合に出場している〈A契約選手〉は1クラブ25人と決められている。
フリューゲルスとマリノスの選手を受け入れる場合、1名の増枠を認め、両クラブの選手が移籍する場合、移籍金を発生させないことを提案したのだ。
マリノスに移籍する気はまったくなかった
合併報道以降、最も移籍先が取り沙汰されたのはゴールキーパーの楢﨑である。
前ゴールキーパーコーチの栗本直のいた札幌の他、名古屋、関西出身ということでセレッソ大阪、京都、さらには中田英寿が所属していたイタリアのペルージャという名前までスポーツ紙に出ることになる。
楢﨑はなぜ根も葉もない噂をわざわざ書くのだと苛立っていたという。
「移籍先を考える余裕などほとんどありませんでした。とにかくフリューゲルスを残すこと。そのために選手ができることは何か。フィールドで結果を出すことしかなかった」
楢﨑の記憶では11月ごろ、代理人の今時靖から、移籍の助けをしたいという連絡を貰った。
「ぼくはまず人を疑うほうなんです。どういう人かと思って会ってから決めたかった。年内には具体的な移籍先の話はしていないです」
ただ、マリノスに移籍する気はまったくなかった。マリノス以外とだけは考えていましたね、と付け加える。
山口も同じだった。
「自分がマリノスのユニフォームを着るイメージはまったくなかった。マリノスが嫌いとかではなくて、(横浜)ダービーで激しく戦っていたわけです。マリノス側にしても、そうした選手を獲得するとサポーターにどうやって説明するんだということになりますよね」
自身の「移籍先」を報じられたことがあった。
「ヴェルディってスポーツ紙に出たんでしたっけ。食事のとき本当ですかって誰かに聞かれましたね。こんなの全部嘘だよって答えました。
いっさいそういう話はないのに勝手に書くんだって。いい気分はしないですよね。逆にすごいと思いました。ナラ(楢﨑)もそうだったんじゃないですかね。すごく怒っていましたよ」