2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」には、主人公の紫式部をはじめ多くの女流歌人が登場する。その中の一人が、和泉式部だ。彼女は京の都を騒がせたプレイガールだったという。歴史小説家・永井路子さんの著書『歴史をさわがせた女たち 日本篇』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。
百人一首56番、和泉式部の和歌
百人一首56番、和泉式部の和歌(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

平安時代に「フリーセックスの女王」がいた

フリーター、フリーセックス、フーテン、同棲時代……ほんとにいまの若いものは、と眉をひそめるオトナたち。それをしりめに、

「古くさいオトナにはわからないさ」

と若い世代はうそぶく。

が、たいへん新しいはずのそのフリーセックス、じつは日本ではとうの昔に実験ずみなのだ。古代の歴史を虫眼鏡でじっくりのぞくと、すべてそれであるかのようにも見えるが、中でも何やらそれが優雅な装いに包まれているのは、王朝はなやかなりし平安時代のフリーセックスの女王、女流歌人和泉式部がいるからである。

彼女の父は大江雅致まさむね、冷泉上皇の后、昌子内しょうしない親王につかえる役人。母もこの昌子の乳母めのとだから、いわば職場結婚の、まあ中流官吏の家庭だった。

「まあ、いい家の娘が、あられもない――」

世の中ではいつもそう言うが、むしろこの階級がいつの世にもくせものなのだ。

「女性のサロン」育ちのプレイガールに

しかも彼女の両親の職場だった昌子内親王の後宮――こうした高貴な女性のサロンこそ、くせもの中のくせもの、しじゅう愛欲と不倫が渦まいていた。その後宮をわが家のようにしていそだった式部が、いつのまにか早熟な恋の妖精になっていたのも無理からぬことではないか。

それに――。現在とそのころでは結婚の形態がかなりちがう。一夫多妻はあたりまえで、男はこれぞと思った女のところへ、あちこちと通っていく。なかでいちばん家柄もよし、財産もあり、みめかたち、心ばえすぐれた女が正妻となって、やがて男はその女の家でくらすか、あるいは一家をかまえるかするのだが、かといって、これまで通っていた女とぷっつり切れるわけではない。

彼女たちは、後世の「二号」のような日かげものではなく依然として正妻に準ずる本妻としての権利をもっているのである。だから正妻たるものも「結婚しちゃえばもう安心」とばかりにデンと構えるわけにも行かないし、他の女たちも捨てられまいと腕によりをかける。そのためには女たちは今よりずっと「恋じょうず」である必要はあったらしい。