やりたい放題でも嫌われなかった理由
たとえばこんな歌がある。
まさに愛欲におぼれた自己を反省し、仏に救いを求める歌だというのだが、じつはこの歌は彼女の第一回の結婚以前の作品だ。体験がにじみ出ているのではなくて、むしろ当時の常識的な、おざなりの仏教思想からの発想にすぎない。今でこそ仏教はカビがはえた古くさいものだと思われているが、当時としては仏教の説く不安感や「罪へのおののき」は流行の新思想だった。
きけばアメリカのヒッピー族の根底にも社会不安があり、アングラ映画にも高邁な芸術理論があるという。和泉式部の仏教思想も、案外この種の「新思想」ではなかったか。
ただひとつ、フーテン族との大きな違いは、これだけ好き勝手にやりながら、彼女はだれからも憎まれていないことだ。
例の紫式部という、したたかなオバサマまで、彼女にはコロリと参って、「あのヒト、素行はちょっと感心しないけど歌は上手だわ」
などと日記に書きつけている。紫式部のような身もちの固い才女にさえも、そう悪く思われていないのはみごとなものだ。
ガクのある紫式部の歌よりずっと心に迫る
これには秘訣がある――と私は思っている。これだけさんざんタノシんでおきながら、彼女はいつも「捨てられムード」を装っているのだ。紫式部オバサマまで唸らせた歌をとりあげてみると、それがよくわかる。自分はいつも頼りなくて、今にも捨てられそうだ、という歌ばかりなのだ。もっとも意地の悪い紫式部は、彼女の歌について、
――それほどガクはないけれど……。
と保留をつけてはいるが。しかしなまじガクがないからこそ、直感的で彼女の歌は私たち千年後の人間の魂をもゆすぶるのである。たとえば「百人一首」にある、
ならたいていの方が御存じであろう。その口調のよさ、もの悲しさ。これなら別に解釈をしてもらわなくてもよくわかる。もう一首――。
これも一度読んだらすぐ覚えられそうな歌だ。もっともその当時は、紫式部のいうように、ガクのある歌がほめそやされた。つまり昔の歌の言葉などをさりげなく使って、
――あたしって、こういう古歌を知ってますのよ、オホン!
という顔をするのが高等技術だとされていた。それから見れば、思ったままを歌にしたような和泉式部の歌は、「まだまだ」ということだったのだろう。しかし歌はガクではない。心にジンとしみてくることが第一ではないか。その証拠に、今読むと、ガクのある紫式部の歌はいっこうにおもしろくないのに、和泉のは、ずっと心に迫るのである。