源頼朝の妻、北条政子はどんな女性だったのか。歴史小説家の永井路子さんは「政治好きの尼将軍と見なされているが、大きな誤解だ。夫や息子、孫を愛し、ときに激しすぎる愛憎でとんでもない事件を起こす庶民的な女性だった」という――。

※本稿は、永井路子『歴史をさわがせた女たち 日本篇』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。

北条政子像〈菊池容斎画〉
北条政子像〈菊池容斎画〉(図版=PD-Japan/Wikimedia Commons

自然児の坂東女と戦争犯罪人のカップル

やきもちは女性の最大の悪徳だといった男性がいる。とすれば、ここにご紹介する北条政子は、日本一ともいうべき壮大なやきもちによって、日本の悪女ナンバーワンということになるわけである。

政子は、いわずと知れた鎌倉幕府の創立者、源頼朝夫人である。いわば鎌倉時代のトップレディーのひとりだが、彼女の生まれたのは十二世紀の半ば、父時政は伊豆半島の小土豪にすぎず、おそらく彼女も、土のにおいのする自然児の坂東ばんどう女として生いそだったにちがいない。そして一方、そのころの頼朝といえば、一介の流人――源平の合戦に敗れた戦争犯罪人のひとりでしかなかった。

この二人の結びつきを頼朝が北条氏を利用しようとしたのだとか、いや北条氏が頼朝をかついで天下をねらったのだとか言うのは、後の結果から見てのことであって、二人の結婚したのはまだ平家全盛時代で、風向きの変りそうな気配の全くないころだった。そして、頼朝も政子も、そんな野心にはほど遠い、あまりパッとしない存在だった。

婚期を逸した政子の目に頼朝はどう映ったか

もっともお互い、かなりさしせまった個人的な事情はあった。というのは二人ともかなりのハイミスター、ハイミスだったからだ。頼朝は三十、政子は二十。十二、三で結婚するそのころにしては、婚期を逸した同士である。頼朝はともかく、政子はつきつめていた。

――これを逃がしたら、またいつ男にめぐりあえるかわからない……。

多少年はとりすぎているが、頼朝はなかなかの美男子だった。それに何といっても、平治の乱で平家に負けるまでは都でくらしているから、このあたりの土豪のむすこにくらべれば、あかぬけがしている。そのうえ敗れたりとはいえ彼は源氏の棟梁の嫡男という毛ナミのよさなのだ。

毛ナミがよくて、美男で、スマートで……いつの世にも女はこうしたものに夢中になる。そして、いつの世にも、そうした娘に親は腹をたてるものらしい。

「あいつは戦争犯罪人のスカンピンだ。平家の世が続くかぎり出世のみこみはないぞ。それよりも、もっと地位もあり財産もある男でなくちゃあ、おれは許さん」