長男への愛情はうまく届かず、殺意に

これはとんでもない誤解である。尼将軍というのは俗称で、彼女は正式に将軍になってはいない。彼女は実家の北条家の代表者にすぎず、自分自身は権勢の人ではなかった。といっても、あるいは反論がおこるかもしれない。

「そんなことはないわ。彼女は権力欲のために、自分の実子の頼家も実朝も殺してしまったじゃないの。北条家の権力のためには、そんなことも平気でできる冷たい女なのよ」

これも誤解である。冷たいどころか、彼女は熱すぎるのだ。その熱すぎる血が、とんでもない家庭悲劇を巻きおこしたのである。

鎌倉幕府2代将軍 源頼家像
鎌倉幕府2代将軍 源頼家像(図版=建仁寺所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

夫の死後、彼女は長男の頼家を熱愛しようとした。ところが、すでに成人していた頼家は愛妾若狭局わかさのつぼねに首ったけで、母のことなどふりむきもしない。政子は絶望し、若狭を憎むようになる。いまも姑と嫁の間によくあるケースだ。そのうち母と子の心はさらにこじれて、かわいさ余って憎さ百倍、遂に政子は息子と嫁に殺意を抱く……。

数百年後も時折り新聞をにぎわわす、おろかな母と同じことを政子はやってしまったのだ。

忘れ形見の公暁は叔父の実朝を殺害

混乱の末、頼家も命を失ってしまった後、政子は突然、激しい後悔におそわれる。

――私はとんだことをしてしまった!

せめてもの罪ほろぼしに、頼家ののこしていった男の子をひきとり、それこそ、なめるようにかわいがりはじめる。父の菩提ぼだいをとむらうために仏門に入れ、都で修行させるのだが、それもかわいそうになって、手もとにひきとり、鶴岡八幡宮の別当(長官)とする。

が、この孫は祖母の心のいたみなどはわかっていない。父にかわって将軍になった叔父の実朝こそ親の仇と思いこみ、とうとう彼を殺してしまう。この少年が、れいの別当公暁くぎょうなのである。

母と子、そして叔父と甥。源家三代の血みどろな家庭悲劇は、歴史上あまりにも有名だが、政子の抑制のきかない愛情過多もその一因になっている。もちろんこのほかに幕府内部の勢力争いもからんではいるが、なんといっても政子の責任は大きい。