冬眠の時期になっても、クマによる被害が相次いでいる。ノンフィクション作家・人喰い熊評論家の中山茂大さんは「冬ごもりをするために十分なエサが得られなかったクマが凶暴化し、見境なく人間を襲うようになる。約80年分の北海道の地元紙を通読すると、その恐ろしい実態が確認された」という――。
冬のヒグマ
写真=iStock.com/LuCaAr
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過去最悪のクマ被害の「本当の理由」

環境省の発表によれば、4~11月のクマによる被害者数が全国で230人となった。

過去最悪のクマ被害を出した令和7年も師走を迎えたが、クマが冬ごもりに入るはずのこの時期になっても人身事故は後を絶たない。

今月4日には、富山市婦中町で新聞配達中の夫妻がクマに襲われ、顔などに大怪我を負い、長野県野沢温泉村では、除雪作業中の男性が襲われ怪我をした。

これほど多くの被害を出した大きな要因のひとつが、東北地方でのドングリの凶作だといわれる。

しかし筆者の体感的には、これに加えて、柿の豊作が影響しているのではないかと思う。

まだ統計が出ていないので断定はできないが、今年は全国的に柿が豊作といわれ、千葉県大多喜町の拙宅でも、たわわな柿が鈴生すずなりである。

柿は日本全国で生育し、多くの農家が好んで植えた。

過疎化によって山から人間が撤退し、その一方でクマの支配地域が広がり、里山に放置された果樹が野生動物を誘引する一因となっていることは、指摘されるところである。

山の木の実の不作と柿の豊作が重なったことで、例年より多くのクマが里山に下りてきた可能性がある。

80年分の地元紙を通読してわかったこと

農作物の豊凶作と、クマによる人身被害に密接な関係があることは、過去の記録を見れば明らかである。

筆者は明治・大正・昭和と約80年分の北海道の地元紙を通読して、ヒグマによる事件を収集、データベース化し、拙著『神々の復讐』(講談社)にまとめたが、開拓時代の北海道では長雨や台風、冷害の年には、必ずと言ってよいくらいにクマ被害が増加している。

たとえば未曾有の大凶作といわれた大正2年には、筆者が把握しているところでは、ヒグマによる死者11人、負傷者8人、樺太での行方不明7人を加えると、18人もの犠牲者を出しており、これは開拓期を通して最悪の数字である。

また昭和初期には、東北地方で娘の身売りが社会問題になるほどの冷害凶作が続いたが、同時期の北海道でも、昭和3年に死者8人、負傷者14人を出している。

そしてこの時期に起きた特筆すべき事件が、士別地方で広く言い伝えられてきた「天理教布教師熊害事件」である。

この事件は白昼堂々、市街地からほど近い場所で発生したことから目撃者も多く、討ち取られたクマが公衆の面前で解体されたため、ショッキングな事件として長く語り継がれてきた。