大熊の「腹の中」から出てきたもの

満足なエサが得られなければ、見境なく人間を襲い、4カ月に及ぶ穴居生活に耐えうる栄養を、なんとしてでも蓄えようとする。

クマの凶暴さは、ここに極まると言っていいだろう。

右上は「札幌丘珠事件」で4人を食い殺したクマの剝製
筆者撮影
右上は「札幌丘珠事件」で4人を食い殺したクマの剥製。この事件の加害熊も「冬眠しないクマ」だった(出所=『東区拓殖史 東区今昔3』札幌市東区)

そして以下の二つの事件もまた、その典型といえよう。

天塩国留萌郡鬼鹿村では、昨秋は果実が至って不足で、彼等の食餌を欠乏させたと見え、今年は頻りに人家に近づき、あるいは板倉を破って数ノ子、筋子、鰊などを盗み食うので、人民は大いに憂慮していたが一夜、同村字田崎沢口の菓子を渡世とする某方で十時ごろ、何やら突然、仏間の背後を押破る音がしたので、その家の主人は、馬が畑から入って来たようだから追い出せと職人某に命じたので、職人は直ぐさま縄を用意し外に出ると、何ぞはからん馬と思ったのは一頭の大熊で、それと見るやいなや、矢庭にその職人を引き捕え、肩に引き担いで、どこともなく逃去った。この時、職人は必死に助けを呼んだが、起き出る者もなく、そのまま熊の餌食となったのは、とても憐れなことだった。翌朝、早速猟夫人足とも十人余りを頼み、そそくさと分けて探したところ、彼の熊は職人某の死体を半身土中に掘り埋め、余りの半身をメリメリ喰らっていたのを認めたので、一同砲先揃へて打ち放ったその弾は過またず、いずれもすべて的中し、さすがの大熊も、もろく打ち倒れたので、衆人打ち集まって熊の腹を割いてみると、かねて田沢奥に炭焼を渡世とした老父があったが、この老父も喰われたと見え、その腹中に衣類の細片になったもの、その他、結髪シナ(木皮)で結んだままのもの等あったので、初めて右老父も害されたこと知った。(後略)(「函館新聞」明治18年10月2日)

冬になっても「クマの恐怖」は続く

今年は天候不順で山野の果実不足のためか、近頃熊の出没が繁く、北見地方渚滑では、去る六日、中山儀市(三五)等三名が薪切りをしていると、午前十時頃、中山の背後より一声高く飛びかかろうとしたので、中山はあまりの急なことに気絶するばかりに夢中で斧をふりあげ、脳天めがけて一撃を加えたが、致命傷には到らず、狂いに狂った熊は、直ちに左腕に噛みつき振り廻したと見えるや、中山は悲鳴をあげるまま絶息した。他二名は腰も抜かさんばかりに逃げ帰り、中渚滑より約三十名が出動し現場に到ると、熊は悠然として中山の太股にかじりついているのを射止められた。この熊は牡で、なお牝熊の出没を恐れて通行が全く杜絶の状態である(後略)(「北海タイムス」大正15年9月15日朝刊)

師走のこの時期でも、いまだクマが出没し、見境なく人間を襲う背景には、絶対的なエサ不足がある。

冬ごもりに十分なエサが得られるまで、彼らは出没を繰り返すに違いない。

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