鎌倉のトップレディーに届いたうわさ
ところが親が反対すれば反対するほど恋心はもえあがるものらしく、政子は家をとびだし、頼朝のもとへ走ってしまう。伝説では、時政が地位も財産もある平家の代官、山木兼隆にとつがせようとした婚礼のその夜、雨をついてぬけだしたので、時政も仕方なく二人の仲をみとめたといわれるが、これは史実としては誤りである。
ところが、まもなく平家が落ち目になり、周知のように頼朝は挙兵する。一度は失敗しかけるが、関東武士の支持を得てみごとに立ち直り、鎌倉に新しい根拠地を開くまでの話はあまりにも有名だ。
それまでに政子は一女の母となっている。戦争の間は難をさけて今の熱海あたりにかくれていたが、やがて鎌倉にやって来てトップレディーとしての生活が始まる。まもなくふたたびみごもって、今度は男の子を産むが、その直後、彼女は聞きずてならないうわさを耳にするのだ。
「頼朝さまは、浮気をしてござるげな」
とたんに政子の目はつりあがり、ここに壮大なやきもち劇がはじまる。
頼朝は浮気のチャンスを見逃さなかった
頼朝の浮気の相手は亀の前という女性だった。どうやら伊豆の流人時代からのなじみらしい。彼は政子のお産を幸いに、亀の前を伊豆からよびよせたのだ。
そのころ、お産は「けがれ」とされていたから、産婦は産み月が近づくと、家を出て別の産所に移る。男にとっては、絶好の浮気のチャンスである。
彼はまず亀の前を鎌倉からほど近い小坪という所にかくした。が、そのうちだんだん大胆になって、さらに近く――今の材木座の海岸に移した。
その妾宅をおとずれる口実に彼はときどき海岸で牛追物といったスポーツ大会をやっている(これは昨今、ゴルフを口実にするのと、はなはだよく似ている)。
こうした真相を知った政子のおどろき!
――まあ、ヒトがお産で苦しんでいるのに。
あのひとのために、旗あげ以来、私はずいぶん苦労させられているのに!
――おとうさまの反対を押しきって、オヨメサンになってあげたのに!
――ああ、何ということか。少し生活がらくになると、すぐ男はこうなのだ……。
考えれば考えるほど腹が立ってくる。
――どうしたらこのくやしさを、思いしらせてやれるかしら。