「亀の前事件」の一番の被害者は…

が、いくら知恵をしぼっても、そうとっぴなことを考えつくことはできない。彼女の考えたのは、こんなときおおかたの女性の胸にうかぶにちがいないことの範囲を出なかった。

ただちがっていたといえば、その考えたことを、実行したというだけのことである。彼女はやったのだ! 屈強の侍に命じて、その憎むべき相手亀の前のかくれがをさんざんにぶちこわしてしまったのである。亀の前は身一つでとび出し、あやうく難をまぬがれた。

さあ、鎌倉じゅうは大評判だ。頼朝の耳にもいちはやくそのことは伝えられた。こうまでカオをつぶされては、鎌倉の総大将たるもの、黙ってはいられない。彼はさっそくそのぶちこわしに行った侍を呼び出した。

「ご苦労さまだったな。お前はなかなかの忠義ものだよ」

やんわり皮肉を言っておき、「それにしても、いくら御台所(政子)のいいつけとはいえ、こんなときには、一応、おれにそっと知らせるものだぞ」

あっという間にその男の「もとどり」を切ってしまった。これは今でいえば頭の半分だけ丸坊主にされたようなもので、世間に対して顔むけができなくなる。

なんともはや盛大な夫婦げんかである。

世の女性は政子と同じことができるか

この事件のおかげで、政子は日本一のやきもち焼きということになっているのだが、これを読まれた現代の奥さまがたは、どう思われるだろう。

憎さのあまり夫の愛人の家をぶちこわす! 政子のやったことは、たしかに、はしたない。けれども、じつをいうと、私の心の中には、

――よくもやったわねェ!

ちょっぴり、その向こうみずの勇気にカンタンする気持ちもないではない。

――もし、私が、そんな立場におかれて、それだけのことができたら、どんなにスッとするだろう……。

夫の名誉のためにおことわりしておくが、私はこれまで、そうした経験はない。だが、仮定の事実として自問自答してみよう。

「あんただったら政子のようにやれる?」
「………」
「正直に言いなさい!」
「……(考えた末にポツリと)できないわ、やっぱり」