日本人の学力は世界最高水準だが、その能力を本当に活用できているのだろうか。プレゼンアドバイザーの竹内明日香さんは「日本とアメリカの国語教科書を比較すると、内容がまるで違うことに驚かされる。アメリカが重視するのが自己主張であるのに対して、日本が重視するのは自己犠牲。これではせっかくの学力も無駄になってしまう」という――。

※本稿は、竹内明日香『すべての子どもに「話す力」を』(英治出版)の一部を再編集したものです。

宿題をしている子供
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「生徒に自分の意見など持たせたら恐ろしい」

第2次大戦後、急速に自由な発言が可能になっていきます。その流れが先鋭化し、1960年代後半からの学生運動、1980年代に起きた中高での校内暴力の過激化など、教育現場は繰り返し若者の運動による抗争の場となりました。このような歴史の結果、「生徒をルールに従わせる」という体制側の考えが強化されるに至ります。

この過程で、子どもと社会の関係を学ぶ教科である公民や現代社会の授業開始を遅らせ、「いかに自分の考えを強く持たせないか」に腐心するとともに、道徳教育や人格教育の徹底によって望ましい人格像の画一化がおこなわれたと指摘する声もあります。

いま管理職になっている先生方の多くは、このころに若手の教員としてまさに中高生との戦いの最前線に立たれていた方です。そのため、「生徒に自分の意見など持たせたら恐ろしい」「ようやく統制が取れてきたのだから、これまでのようにルールで縛るのは正しいことだ」とおっしゃる先生方も少なくありません。

自己主張ができると他者への攻撃性が下がる

その命がけのご苦労も知らずに外から来た人間が軽々に語れる話ではありませんが、そのころの若者に比べていまの若者たちは格段におとなしくなっています。第2章ではますます校則に従順になっている生徒たちの話をしました。この子たちが少しでも自己主張できるように支える必要があるのではと、ついつい申し上げてしまうのです。実際には、自己主張ができるようになることで他者への攻撃性が下がるという研究もあります[※1]

18歳から選挙権が与えられるようになり、「主権者教育」という言葉が教育現場に浸透しました。2022年度からは高校の授業に「公共」が入ってきます。これは「『社会的な見方・考え方』を働かせ、現代の諸課題を追究したり解決したりする活動を通して、公民としての資質・能力を育成することを目指す」ことを掲げた単元です。これらは生徒の主体的な思考や話す力を育むための良い兆候ではあります。

しかし校内暴力の激化の歴史を経験してきた先生が管理職となっている学校では、生徒に主体的な考えが生まれることを恐れる風潮はまだ根強く残るものと思われます。