「話す力」を育むカリキュラムの欠如

米国には多くの州の学校が準拠する「コモン・コア」という指導要領があります。さまざまな単元があるなかで「コミュニケーション」の部分だけを取り出すと、キンダー(日本の未就学児に相当)からG12(大学入学前)までの毎年にわたって、どのように話す力を鍛えていくかというカリキュラムがしっかり入っています。

フランスの教育制度では「答えのない問い」について深く考える授業があります。また、イギリスにはオックスフォードのPPE(哲学・政治・経済)教育のように、哲学を基礎として政治経済を考え言語化させるような授業があります。

しかしながら日本は、先述のような歴史を引きずり、児童生徒が深く考えて自分の考えを話すためのカリキュラムが根づかなかったのです。

1990年代より、小学1年生から始まる「話す・聞くテスト」というものが導入されてはいます。これはいまでもおこなわれていますが、CDに収録された台本を聞いてから設問を解くというテストにとどまり、児童に発話を促す場面はありません。

手を上げる子供
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米国の教科書のメインテーマは「強い個人」

2020年には、日本でも「主体的・対話的で深い学び」を柱とする新学習指導要領が段階的に導入されました。「表現力」「思考力」「判断力」に重心が置かれ、教科書も急ぎ対応していきました。

しかしその要領にある「各教科等・各学年等の評価の観点等及びその趣旨」を見ると、「書く能力」と「読む能力」はそれぞれが別個の能力として詳細に書かれているのに対し、残りの2技能である「話す」と「聞く」は、「話す・聞く能力」とひとまとまりになっています。その結果、話すことについての評価の基準が現場の先生方にとって把握しづらいものになっているのです。

話す力の育成が最も期待される科目であろう「国語」においても、日本ではそのような力を育むことは重視されてきませんでした。

やや古い分析ではありますが、米国の国語教科書の209篇と日本の国語教科書の211篇を比較した『アメリカ人と日本人 教科書が語る「強い個人」と「やさしい一員」』によると、米国の教科書のメインテーマは「強い個人」をいかに育むかや「創造性と個性」をどう伸ばすかにあるそうです。教材には、自我を確立し、自己の客観的認識を促し、強い意思を持って自己主張をさせることに主眼が置かれた文章が並びます。