「毒親」に苦しめられて育ち、そのダメージが今なお癒えない人は多い。これまで50人近くの毒親育ちを取材してきたノンフィクションライターの旦木瑞穂さんは「毒親に育てられ、自身も毒母になってしまったというケースは少なくない」という。今回は、関西在住の40代女性の事例を紹介しよう――。(前編/全3回)

※本稿は、旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

ブランケットにくるまり、床に座っている女性
写真=iStock.com/bee32
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機能不全家庭という毒からの自立

浅はかでした。自分と向き合わず、考えることさえ放棄し、子どもを支配して、子どもに欠けた穴を埋めてもらっていたのですから。いつのまにか、嫌っていた母そっくりなエゴイストに成り果てていました

子どもにとって本来家庭は、世界中のどんな場所よりも心安らげる場所。そして子どもにとって本来両親は、世界中で誰よりも信頼し、慈しんでくれる存在であるはずだ。しかし不機嫌を撒き散らす父親、びくびくおどおどするばかりの母親だったらどうだろう。

本稿では、14歳長女の不登校を機に、自分の両親、特に母親が毒母だったことや、そのせいでこれまでアルコールや交際相手など、さまざまなものに依存して生きてきたことに気付いた40代の母親のケースを紹介する。自分の子育てを振り返った彼女は、自分自身が毒母となっていたことに愕然とする。

関西在住の吉野透子さん(仮名・40代)との出会いは衝撃的だった。いつものようにインターネットを使って取材先を探していると、「自分自身が毒親だった」と告白するブログを見つけたのだ。「私は毒親に育てられました」というブログは数多く目にするが、「自分自身が毒親でした」というブログはなかなかない。私はそのブログを読み進めるうちに、「この人に取材したい!」という強い衝動にかられた。

メッセージを送ってみたところ、「なぜ私に取材をしたいと思ったのでしょうか? 思いが同じならば、取材に応じます」といった内容の返信があった。

そこで私が送ったのは、この本の「はじめに」で書いたことと同様の内容だ。毒親というものは、「絶対にならない」という保証は誰にもなく、誰もがなってしまう可能性があること。自分も小学生の娘を持つ母親であるため、子育ては試行錯誤や自己嫌悪の連続であること。自分自身が毒親であることに気付き、悩み苦しみ、それを正そうと努力している吉野さんから学ばせていただきたいと思ったこと。そんなことを書き綴った。その結果、「まさに私も同じ思いでブログを書いています。私で良ければ取材に協力させてください」との返事をもらった私は、関西の主要駅の駅ビル内にあるカフェに向かった。