家が嫌いな思春期

家族旅行は年に1回はあったが、吉野さんは「全然楽しくなかった」という。当時の写真を見ても、みんなムスッとした表情で写っていた。

いつしか吉野さんは、「私は母とは違う人生を楽しく生きる!」と、母親を反面教師のように捉えるようになっていた。家にいることが嫌だったため、学校が終わると寄り道して帰った。幸い交友関係や勉強については、両親はうるさく言わなかったが、テストの点や順位が良くても、褒められたこともなかった。

吉野さんは商業高校に入学すると、部活や学校行事を理由に、暗くなっても友だちと遊び続けた。お酒を飲み始めたのもこの頃からだ。

そんな吉野さんに母親は、「信じてるからね! 世間様に顔向けできないようなことしないでね!」と釘を刺す。真面目な顔をしてうなずく吉野さんだったが、一歩外に出てしまえば母親の言葉などすぐに吹き飛んだ。お酒やお菓子を大量に買い込み、数人で友だちの家に集まる。回を重ねるごとにお酒は量を増し、チューハイからビール、日本酒へと変化していった。

瓶ごとあおっている女性
写真=iStock.com/Instants
※写真はイメージです

「アルコール依存の始まりでした。飲めば飲むほど楽しくて、気付けば、『私は母とは違う!』『私は楽しい人生を送っている!』と、母を見下していました」

しかし楽しいときは長くは続かなかった。「将来のことを考えないと……」「彼氏と一緒に過ごしたいから……」と言い、離れていく友だちたち。

高校を卒業した吉野さんは、製造業の会社に就職。しかし2日で辞めてしまう。

「当時の私は、母だけでなく世の中のすべてを見下していました。自分よりテストの順位が下だった同じ高校出身の子が、自分より良い部署に配属されたことを受け入れられず、2日で辞めました」

目の前で明るく笑う吉野さんからは想像できないが、よほど当時は気性が激しかったのだと私は内心驚いた。だから、「仲の良い友だちも見下していた?」とたずねると、「見下していました。というか、利用していましたね」と吉野さんは答えた。その問いで、吉野さんは私の勘違いに気付いたのだろう。すぐに以下のように補足した。

「2日で仕事を辞めたのは、同級生を見下していたからではなく、会社の決定に傷ついたからです。情緒不安定な両親のもとで育ち、いつも不安と満たされない想いを抱えて生きてきた私にとって、『自分が認められていない』『自分は軽く扱われている』と感じることは、耐えがたい苦痛でした。毒親家庭で育った子どもは、もうこれ以上傷つきたくないのです」

その瞬間、私は毒親家庭で育った人に対する理解の浅さを恥じた。それと同時に、いかに自分が普通の家庭で育ったかを思い知った。私のような普通の家庭育ちの勘違いにより、毒親家庭で育った人の言動は、問題行動として捉えられることも少なくないという。

その後吉野さんは、親戚の会社に就職した。