毒母に育てられた現在40代の女性。長女はもともと明るくひょうきんだったが、母親である女性に精神的に追い詰められてエネルギーを吸い取られ、学校生活に支障をきたすように。これまで約50人の毒母を取材し『毒母は連鎖する』(光文社新書)を上梓したノンフィクションライターの旦木瑞穂さんが毒母のDNAを受け継いでしまった女性の葛藤を描く――。(中編/全3編)

※本稿は、旦木瑞穂『毒母は連鎖する』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

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娘が幼稚園に入園

夫の転勤は3年で終わり、吉野透子さん(現在40代、当時30代、仮名)は地元関西に戻ってきた。3歳になった長女を、「幼稚園に入れなければならない」と思った吉野さんは、新入園児の募集期間は終わっていたが、近所の幼稚園に頼み込んで入れてもらった。

園服を着た長女はとても可愛らしかったが、園のバスに乗せる際、まるで今生の別れのように泣き叫んだ。毎朝吉野さんは、長女をひきずるようにしてバス停まで行き、最後は先生に無理やり連れて行ってもらった。

初めての保育参観を迎えると、長女だけがいつまでも泣いていて、他の子は園に慣れていることに気付く。不思議に思っていると担任の先生が、「他の子は昨年1年間、慣らし保育をしたんです。最初はお母さんと一緒に通園し、ここが安全で楽しい場所だと学んでいるんですよ」と教えてくれた。

それを聞いて、私は驚いた。私の娘は1歳から保育園に通い始めたが、慣らし保育は2週間だった。最初は1時間、翌日は2時間と、慣れてきたら徐々に園での滞在時間を長くしていくという方法を取っていたが、1年間も設けている園があるとは知らなかった。

調べてみると、保育園は1〜2週間単位のところが多く、それ以上の期間を設けているところは、幼稚園に多いようだった。私の娘は最初から嬉しそうに保育園に通い、「行きたくない」と言ったことは一度もなかったが、毎朝、保育園の玄関で泣き叫ぶ子どもは少なくなかった。

慣らし保育を知らなかった吉野さんは、長女には、「3歳になったら、毎日幼稚園に行くのが決まり」とだけ教えた。

「幼稚園というところがどんなところかもわからないまま、バスに放り込まれる……。それが幼い長女にとって、どんなに恐ろしいものか、想像さえしませんでした。どんな小さな子どもでも、心があるということを知らなかったのです。『子どもは親の言うことを聞くものだ』と思っていました。そこには、かつての母とそっくりに子育てをする自分がいました」

それでも長女は、少しずつ園に慣れていった。

「お友だちとだんご虫で遊んだよ」「みんなとお砂場で遊んだよ」。吉野さんはそう聞く度にほっとしたが、「1人でブロック遊びをしたよ」と聞くと落ち着かなくなった。

我慢ができずに吉野さんは、「なんで1人で遊んだの? 誰も遊んでくれなかったの? 仲間はずれにされてるの? 自分から誘わないの?」と、長女を質問攻めにしてしまう。

「子どもにも1人でいたいときがあるなんて知りませんでしたし、長女が仲間はずれにされているところを想像しただけで胸が苦しくてたまりませんでした。そこで私は思いついたんです。『私が長女のお友だちを作ってあげればいいんだ!』と……」

吉野さんは同じ幼稚園の親子に声をかけ、自分の家に誘って回った。すると家の中は、いつも託児所のように子どもがあふれるようになった。

輪になって踊る園児と保育士
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吉野さんはおやつや飲み物を用意し、子どもたちの世話を焼いた。長女が「眠い」と言っても、「みんなが来てくれているんだから遊びなさい!」と言って休ませなかった。長女が1人で違う遊びをし始めると、みんなの輪の中に戻した。

「こうして私は安心を手に入れたんです。長女の気持ちはお構いなしでした。“お友だちに囲まれている長女”が、私の理想像だったから。私は、自己満足に浸っていたのです」