始まりの日

長女は14歳、次女は10歳になった。5月のGW明けの朝、朝風呂に入る習慣がある吉野さんは、その日も朝風呂に入ってからパートの仕事に向かう予定だった。給湯器の時計が午前8時30分になる頃、突然浴室の扉が勢いよく開いた。

「もう無理!」

泣きながらそう叫び、扉を開けたのは、当時中学2年生の長女。吉野さんは驚きつつも、意外に冷静に、「さて、“普通”の親ならどうするんだろうな」と思った。「“普通”の親ならきっと、『どうしたの? 何があったの?』と聞くだろうな」という考えに至った吉野さんは、「何があったの?」とたずねた。

すると長女は声を絞り出すようにして、「学校でいじめられている。もう限界……」と言い、その場に座り込んだ。

「『やっぱり』と思いました。数年前から私は、『このままでは長女の心はいつか破裂するだろうな』と気付いていました。それでも日常を壊されるのが怖くて、気付かないフリをしてきたのです」

ひとまず吉野さんは長女をなだめ、「今日は学校を休んでいいから」と言って自室に行かせると、自分は浴室に戻り、「さて、“普通”の親の私はどう対処するのが正しいか?」と考えた。

風呂を上がり、学校に電話をかける。

「今日は娘を休ませます。いじめられていると言うのですが、先生に心当たりはありますか?」と問いかけると、一瞬担任教師は言葉に詰まった様子で、「すぐに確認します! 気付かず申し訳ございません。早急に対処してご連絡させていただきます!」と言った。

吉野さんは、「“普通”にいい先生で良かったな」と思いながら、仕事に向かった。

しばらくして担任教師は、いじめていた数名の男子生徒を突き止め、長女に謝らせてくれた。

「みんな大して悪気はなかったのでしょう。長女はからかわれ、それを真に受けた。『中学時代によくあるひとコマ』と、私は軽く捉えました」

担任教師は、「二度とこのようなことがないよう、細心の注意を払います」と約束。吉野さんは、「これで長女は学校に戻れる」と安心し、「良かったね。学校、“普通”に行けるね!」と長女に笑いかけた。

ところが翌朝から、長女は完全に起きられなくなった。

吉野さんは長女の部屋をノックし、「朝だよ〜! ほらいい天気だよ〜! 起きて朝ご飯食べようよ〜!」と言いながらカーテンを開ける。しかし長女は頭から布団をかぶったまま。

諦めた吉野さんは、朝風呂に入り、家に長女を残し、仕事に向かった。

休みの日、吉野さんは「気分転換に出かけない?」と長女を誘う。寝ていた長女は、しぶしぶ起き上がった。

近所では、お祭りが開催されていた。「ほら、綿菓子あるよ、花の形だよ、綺麗じゃない? 食べてみたら?」と言い、吉野さんは綿菓子を買って長女に押し付け、スマホで写真を撮り、一人はしゃぐ。

しかし長女はぽつりと、「疲れたから帰りたい」と言った。吉野さんは、「来たばかりなのに……」と思った。

その日から長女は、家から一歩も出なくなった。

吉野さんは朝、長女を起こしに行くのも辛くなった。そしていつしか、起こしに行くのをやめてしまった。

夜明けの整えられていないベッド
写真=iStock.com/robypangy
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