日本の自衛隊とは、どんな存在なのか。ジャーナリストの池上彰さんは「『自衛隊の存在は憲法違反ではないか』と問われた裁判で、最高裁は合憲とも違憲とも判断しなかった。その後、自衛隊はあいまいな位置づけのまま、世界有数の軍隊並みの組織として成長し、国際社会で活躍の場を広げている」という――。

※本稿は、池上彰『池上彰の日本現代史 集中講義』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

信州大学で講義をする池上彰さん(撮影協力/信州大学)
撮影=中西裕人
信州大学で講義をする池上彰さん(撮影協力/信州大学)

軍は解体され「二度と戦争を起こさない国家」に

戦後、日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)は日本を二度と戦争を起こさない国家に作り直すことを目指しました。日本国憲法第九条には「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」が盛り込まれました。軍は解体され、日本が独自に軍隊に相当する組織を持つことはありませんでした。代わりに治安の維持にあたったのはアメリカ軍と日本の警察です。

しかし、1950年6月、朝鮮戦争が勃発。韓国軍を支援するため、日本に駐留していた米軍7万5000人が朝鮮半島に送られました。当時、ほとんどの米軍部隊は韓国から撤退していたからです。戦車もまったくありませんでした。山がちな朝鮮半島では役に立たないと考え、引き上げてしまったのです。そこに北朝鮮が戦車で攻め込んできたため、韓国軍は太刀打ちできず、あっという間にソウルが陥落してしまいました。

このように緊迫した情勢だったため、アメリカ本土から派兵する猶予はなく、日本にいた米軍を急遽、韓国に投入することになったのです。

マッカーサーの「命令」で警察予備隊が発足

その結果、日本国内には軍隊が存在しない状態になりました。アメリカはこれに危機感を抱きます。東西冷戦の真っ只中であり、ソ連の侵攻が懸念されたからです。さらに日本で社会主義勢力が革命を起こす恐れもありました。

そこで1950年7月、GHQのマッカーサー司令官は吉田茂首相に対し「7万5000人の『ナショナル・ポリス・リザーブ』の設立、海上保安庁の職員8000人の増員を許可する」という書簡を送りました。日本側は何も希望していないのに「許可する」というのは、つまり命令ということですね。アメリカはソ連の侵略を防ぎ、革命を制圧する組織を日本に設けたかったのです。

マッカーサー司令官は日本が憲法により軍隊を持てないことを熟知していたため、軍隊ではなく「ポリス・リザーブ」と呼びました。これを日本側では「警察予備隊」と名づけました。軍隊ではなく、警察と「呼びたい」。このダジャレのようなネーミングの組織が自衛隊の原型です。