母親と妹

幕内さんの実の父親は、養育費を入れてくれていたようだ。だからだろうか。母子家庭でゆとりのない幕内家だったが、幕内さんが中3になると、高校受験のために塾に通わせてもらうことができた。

「母からは、事あるごとに、『あんたは何をさせてもダメな子だ』『ホントに情けない子だ』『ネクラだ』『笑顔がない』『色が黒い』『消極的だ』などとけなされてきたので、私は体育はできましたが、ほかはそれなりの成績で、なるべく目立たないようにしていました。でも塾に通わせてもらうようになって、『自分はそれほどひどくはないのかも?』と疑問をおぼえるようになりました」

母親に叱られ、机の下で泣いている子供
写真=iStock.com/Thai Liang Lim
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幕内さんは、私立高校の特待生枠で合格したが、学費が全額無償になるわけではなかったため、結局、経済的な理由で公立高校に進学。

高校に入ると幕内さんは、喫茶店でアルバイトを始め、家にいる時間が少なくなったことで、かなり気が楽になった。

しかしそんなある夜、中1の妹が、突如「こいつにはご飯を食べさせないで!」と母親に言った。すると母親もニヤニヤ笑って、幕内さんには夕ご飯を用意しなくなった。仕方がないので幕内さんは、自分で稼いだアルバイト代でカップラーメンなどを買い、食いつないだ。

高1の夏。当時住んでいたアパートにはお風呂がなかったため、母親に銭湯に行くお金をくれるように頼むと、母親は妹と2人でいやらしく笑いながら、「男と寝てるんだろ?」「だから毎日お風呂に入りたいって言うんだ」と言った。

「16〜17歳の娘が真夏に毎日入浴したいのは当然のことですよね? それでなぜ、『男と寝てるんだろ?』という発想になるのか、私にはさっぱりわかりませんでした」

高校在学中は、母親に加え、妹からも、毎日のように、「死ね」「何をさせてもダメだ」「家を出て行け」などと言われ続けた。

「私の実父は、国立病院の事務長としか聞いていませんが、当時彼の息子は医大に行っていたそうなので、捨てられた立場の母は、実父を見返したかったんだと思います。見返す道具として私が使えなかったから、母は私を“役立たず”と思っていたのかもしれません」

妹とはよくケンカになった。「不倫相手の娘!」と言われると、幕内さんも負けじと、「犯罪者の娘!」と言い返していた。

「妹が私に嫌がらせをするのは、自分が犯罪者の娘で、私は違うっていうのがストレスだったからじゃないでしょうか。聞いたことがないので想像でしかありませんが……」

幕内さんは家庭内のことを、誰にも相談したことがなかった。そもそも、「相談するという発想がなかった」という。

やがて高校を卒業すると、幕内さんは短大に入学。この頃、母親と妹からの「出ていけ」「まだ家にいるのか?」攻撃が一層激しくなる。

それならばと幕内さんは、短大を辞め、週7日、いくつかのアルバイトを掛け持ちする生活を始めた。やがて音楽が好きだったこともあり、アルバイト先で知り合ったバンドをしている男性と意気投合。19歳の秋のある晩、東京行きの夜行バスに飛び乗り、上京すると、その男性のアパートに転がり込んだ。