「(親は)足りなくなったら、子どもたちから借りればいいと思っていた。返すアテもないのに」。40代の長女は今、毎月20万円超の赤字家計の67歳母と70歳継父に月5万円援助している。収入のメドもなかったのにかかわらず、お嬢様育ちの母親は「新しい家が欲しい」と住宅ローンを組んだ。また、家計が火の車なのを承知の上で、エステや美容院に定期的に通っている。長女はなぜ迷惑をかけられ続け、それを受け入れているのか――。(後編/全2回)
窓のそばでうずくまり、手で顔を覆っている中年女性
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【前編のあらすじ】関西在住の桂木徹子さん(仮名・40代・既婚)は小さい頃から両親に、「お前は山で拾ってきた子だ」とか、「かわいそうな顔だな」などと嘲笑された。小学校に入ると無理矢理中学受験のための塾やピアノや英語、スイミングなどの習い事をやりやらされる一方、風呂・トイレ掃除、庭の草むしり、妹の世話、食器洗いなどを強要され、結局、中学受験は失敗。高校に入ると、母親の不倫で両親は離婚。不倫相手の家で暮らし始めたが、短大生になっても、社会人になっても、母親の監視は続き、ついに一人暮らしを開始。やがて結婚が決まったが……。彼女の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか。どのようにして「家庭のタブー」から逃れられたのだろうか――。

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嫁に行った娘をこき使う母親

24歳で結婚した桂木徹子さん(仮名・40代)さんは、平日は旅行会社で事務の仕事をしているにもかかわらず、土日どちらかは必ず電車で30〜40分の距離を毎週実家まで通っていた。

なぜなら母親(当時48歳)は桂木さんを家政婦のようにこき使うためだった。

「実家に帰ると、掃除や片付けをさせられたり、犬の散歩をさせられたり。あとは母の話し相手をさせられていました。必ず昼ごはん前には行かないと怒られるので、午前中に着くように行って、昼ごはんは絶対に一緒に食べていました。一度、昼ご飯を食べて行ったときは、母と大げんかになったため、それ以降、絶対に午前中に行くようになりました」

やがて桂木さんは、妊娠を機に会社を辞職し、5つ年上で自営業の夫の仕事を手伝うように。26歳で息子を出産した。

母親とW不倫後に再婚した継父は、初孫をとてもかわいがり、孫に会いたいがために、週に2〜3回実家に来るよう強要。2人は行く度に、服やおもちゃなど、孫のものを買い与えてくれた。

しかし、息子が3歳で幼稚園に入ると、実家に行くのは週1回に。時々全く行かない週があると、必ず母親から電話がかかってきて怒られるため、週1回は必ず実家に行っていた。

一方、8歳下の妹は、幼稚園から大学までエスカレーター式に進学できる学校に通っていた。

「妹は、母が敷いたレール通りに進む、母にとっての自慢の子で、私はダメな子でした。勉強だけでなく、容姿も……。妹と私のかわいがり方の差がすごかったです。私だけ、家族じゃないような扱いでした。だから私は性格だけは良くしようと、無理して周囲に嫌われないようにするクセが身に付きました」

ところが妹も、母親の監視や束縛には耐えられなかったようだ。妹は大学生になると、母親の反対を振り切り、早々に家を出ていた。