自宅介護を断念しグループホームへ88歳の母親を預けた次男。コロナ禍で面会不可となり介護の負担も減ったが、かつて母親に対して罵詈雑言を浴びせるなどの自分の言動を懺悔する日々で、体調不良はどんどん深刻化。MRI検査をすると、前立腺がん。それもステージ4だった――。(後編/全2回)
手で目を覆う男性
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【前編のあらすじ】酒乱の父親は肝硬変により49歳で他界、その後、2人の子供を育てた母親は42歳で乳がん、75歳で慢性骨髄性白血病にかかり、85歳の頃にはアルツハイマー型認知症を発症。実家近くで飲食店などを営む次男が全面的に介護をすることに。しかし、母親の認知機能はみるみる低下し、介護施設へも行きたがらない。店を営業できない次男は廃業に追い込まれ、母親を罵倒するように――。

グループホームへ

2017年12月。アルツハイマー型認知症で要介護2の88歳の母親をグループホームに入れると、63歳の山田寅彦さん(仮名・既婚)は、週に1〜2回面会に行く生活が始まった。母親が家にいる間、長時間目が離せない生活に比べれば、格段に楽になったはずだが、精神的には全く楽にはならなかった。

入所したばかりの2018年1月ごろ、施設職員が母親に着せようとした衣類を「自分のものではない」と言い張り、以降、職員の食事の勧めを断るなどしたため、施設に呼び出された。

駆けつけた山田さんは、母親をなだめすかし、施設にいてもらうように説得。他にも、夜中に眠れず、他の部屋に迷い込んだり、自分のいる場所がわからなくなってパニックになったり、帰りたがって、「息子と話をさせてほしい」と職員に何度も要請するなどが繰り返された。

「とにかく母は家に帰りたがりましたが、その家がどうやら生まれた家であることが多くなっていて、少し前までいた私の実家の記憶は薄れているようでした。母を施設に入れて、私は仕事に戻ると、今度は仕事の疲労と、母を無理やり施設に入れてしまった罪悪感から睡眠がうまくとれず、私はずっと体調不良が続きました」

母親の通院時は、山田さんが施設に母親を迎えに行き、一緒に受診していた。

この頃の母親は15分間隔でトイレに行きたがるため、最初の頃、施設から母親を連れ出すときは、山田さんには若干のおびえがあった。

病院まで約20分。大体、15分経過の頃、「ちょっと、トイレに行きてえなあ」と母親が言い始める。

ミラー越しに母親を見ながら、山田さんは、「もうすぐ着くけど、着くまで我慢できるか?」とたずねると、決まって母親は、「我慢するさ~しょうがねえじゃあ」と言った。駐車場に車を止めて、受付を済ませたあとトイレに行くが、トイレに行っている間に必ず名前を呼ばれる。母親のトイレは大小にかかわらず、10〜15分ほどかかるのだ。

診察を終えると、帰る前にもう一度トイレ。

まだ母親は、自分で紙パンツやズボンを上げたり下げたりできるが、ほとんどの場合、ズボンの下で紙パンツが上がっていないので、山田さんが確認する。

手を洗わせて待合室に戻り、座らせる場所を探して、会計を済ませ、病院を出る。薬局に寄り、コンビニでプリンと甘酒を買い、車に乗せると、母の首からお腹にティッシュを置き、プリンを渡す。

「お、旨そうだな……」

おいしそうに食べる母親をミラー越しに見ながら、グループホームに向かう。プリンがなくなると、「これからどこへ行くだえ?」と言い出す母親。「あそこじゃなくて家に帰りてえ……」とぼやくが、そんな母親を無視してグループホームの玄関に到着。

「施設に面会に行くと、必ず確認するのは前回の面会以降の記録帳にある“便汚染”。便の失敗の記録です。それが週に1度くらいのときもありますが、2日に1度とかわりと頻繁にあると、通院の時も気を使います。しかし、5カ月で10回くらい通院しましたが、恐れていた失敗は一度もなく、だんだん母を外の空気に触れさせる良い機会……と思うようになっていました」