「父が被害者、母が最低なことをしているとわかっていた」。40代の長女は子供時代、「お前は山で拾ってきた子だ」「かわいそうな顔だな」などと嘲笑され、理不尽な量の家事手伝いを強要された。高校生の時、母親の不倫が原因で両親は離婚。不倫相手の家で暮らし始めたが、短大生になっても、社会人になっても、結婚して独立しても、長女は母親の監視や執着に悩まされ続けた――。(前編/全2回)
ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。
お嬢様育ちの母親
関西在住の桂木徹子さん(仮名・40代・既婚)の母親は、不動産業を営む裕福な家庭に育った。不動産業を営む祖父(母親の父親)の仕事は順調で、子どもの頃から母親はお金に困ったことがなかった。
「母は子どもの頃から、お金は欲しいと言えばもらえる。洋服は、オーダーメードが基本。しかも、1人で行って、ツケで作ってもらえる。習い事もたくさんしていたようで、中学から私立中学で、付属の大学まで通い、海外旅行もいろんな国へ行ったようです。留学をしたこともあるとか……。毎日の食事は、業者さんやお店から良い食材を家に届けてくれたり、値段を気にせず外食したり。3人きょうだいの末っ子で、祖父に甘やかされていたようです」
母親は現在68歳。この歳で海外留学を経験している人は少ないだろう。
桂木さんの両親は、母親が22歳、父親が27歳の時に旅行先で出会い、23歳、28歳の時に結婚。その約1年後に桂木さんが生まれ、8年後に妹が生まれた。
父親はごく一般的なサラリーマン家庭に育ち、自身はメーカーの営業マンだった。
「23歳で結婚してからは、基本、父の給料でやりくりしていたようですが、祖父母からの援助があったと思います。私が産まれた3年後、母が27歳の時に祖父が亡くなり、その2年後に祖母が亡くなった後は、遺産が入ったようです」
立て続けに両親を亡くし、母親は遺産としていくつかの不動産を得た。
「家賃収入が月に30万円くらい入ってきていたようで、生活は父の給料で回し、家賃収入は自分のお小遣いとして自由に使っていたのでしょう。私が幼い頃も、母は自分の服はオーダーメードで作っていたのを覚えています」