離婚
桂木さんが中2になったあたりから、43歳の父親は単身赴任になり、土日しか帰ってこない生活が始まった。それからしばらくして、38歳の母親は夜8時ごろになると、自室にこもってどこかに電話していることが増えた。その間桂木さんは、6歳の妹の面倒を見ていた。
やがて桂木さんが中3になると、母親は夜7時ごろにどこかへ出かけて行くようになった。小学生の妹は連れて行ったり、置いて行ったりだった。
「子ども心に、どこに行ってるのかな? と不思議でしたが、聞かないほうがいいような雰囲気だったので、聞けませんでした」
そして桂木さんが高校に上がったある日、学校がテスト前の短縮授業のため午前中に終わり、友だちを連れて家に帰ると、見知らぬ車が家の前に止まっていた。家の中に入ると、母親が男性とリビングで話をしていた。相手は母親のママ友の夫だったため、桂木さんも面識があった。
一度バレてしまうと、母親は隠さなくなった。その男性が家に来ることや、「会ってくる」と言って出かけることが増える。
桂木さんが高2の夏休みが始まった頃のこと。2階の自室にいると、1階から誰かの怒鳴り声や誰かが暴れるような物音が聞こえてきた。桂木さんがおそるおそる降りていくと、単身赴任でいないはずの父親が母親の髪をつかみ、引きずり回していた。
とっさに桂木さんは、そばで立ちすくむ9歳の妹を連れ、2階に避難。その後も父親の怒鳴り声や母親の言い訳している声、ドタンバタンと足音や物音が聞こえてきたが、桂木さんは妹に聞かせてはいけないと思い、ドアをしっかりと閉め、妹の好きな音楽を流した。
「あの時、母を助けるべきだったのか、今でもふと思います。でも、母を助けると、父に私も共謀していると思われるのが嫌でした。私は高校生でしたから、父が被害者であることも、母が最低なことをしていることもわかっていましたから……」
突然父親が帰ってきたのは、母親の不倫相手の妻が探偵を雇って夫の不倫の事実を突き止め、父親に連絡したためだった。母親と不倫相手の妻はママ友同士。そのため父親と不倫相手も面識があった。
修羅場はしばらく続いた。
「家族4人で車で出かけなければならない日があったのですが、途中、運転する父が、怒りが抑えられなくなり、車のシガーソケットを母の顔に押し付け、火傷を負わせたこともあります。その後のことは、父が母にすることがあまりに恐怖で、記憶がありません……」
事態は収拾がつかないままだったが、父親は仕事のため、単身赴任先に戻らなければならない。母親は、父親が単身赴任先に戻ると、待ってましたとばかりに妹を連れて、逃げるように家を出た。その際、「ついてくる? どうする?」と聞かれたが、桂木さんは、目の前で現実に起こっていることを処理するのに頭が追いつかず、「バイトがあるから家にいる」と答えていた。すると母親は2万円だけ残し、出ていった。
残された桂木さんは、まるで1人暮らしのように友だちと遊んだり、バイトをしたりして過ごした。
しかし夏休みの終わりごろ、母親が家に帰ってきて、「学校や自分の必要な物だけ持ってきて! 新しい家に行くから!」と言った。
有無を言わさず連れて行かれた先は、母親と不倫相手が借りた家だった。
「両親は、かなりもめましたが、母の不動産をいくつか渡す条件で離婚したようです。子どものことでも少しもめたようですが、結局は母が親権を持つことに。私はその後も半年に一度くらい、父と会いました」
不倫相手の妻は、桂木さんの母親を相手に裁判を起こし、母親が慰謝料を払うことで決着。不倫相手の子どもの親権は妻のものとなり、養育費と慰謝料を払う形で離婚した。
「継父は、自分の子どもとは一切会わせてもらえなかったようです。離婚成立するまでの半年ほどは、家の中は微妙な雰囲気がありましたが、離婚が成立してからは、少しずつ家族らしくなっていったように思います。何より、母が前よりも幸せそうでした」