両親は毒親

幼い頃から両親は、桂木さんにとても厳しかった。旅行に行く機会や食事、物は豊かに与えてもらったが、両親から褒められた記憶はほとんどなかった。

「幼稚園に入る前、3歳ごろでしょうか。よく怒られて、ベランダに閉め出されていました」

両親からは、事あるごとに、「お前は山で拾ってきた子だ」とか、「かわいそうな顔だな」などと言われ、嘲笑された。

幼稚園の運動会やお遊戯会では、「もっと目立て!」「シャキシャキ踊れ!」などと言われ、「かけっこが1番じゃないなんて、私と大違い!」などとダメ出しばかりされるため、桂木さんは親が観に来る行事が大嫌いだった。

「小学校に入ると、中学受験のための塾や、やりたくもないピアノや英語、スイミングなどの習い事を無理やりやらされて、友だちと遊ぶことやテレビを観ることなど、本当にやりたいことを我慢させられました。私は小学校の友だちたちと同じ中学が良かったのに……」

母親は、「あんな中学校に行ったら人生終わりだ」「勉強できない人間は悪」と断言し、桂木さんの友だちもその親もバカにし、小学校の教師たちのことも見下していた。

「私は人の悪口を言うのが嫌いだったので、『そんなことないよ』とかばうようなことを言うと、母は気が狂ったように怒って、『厳しく言うのは、あんたのためだからね!』と言い聞かされて生きてきました」

門限も厳しかった。たまに友だちと遊んで18時ごろに帰ると、家のドアに鍵がかかっていて入れない。ピンポンを鳴らしても、「いつまで遊んでるの!」と家の中から怒鳴られて、入れてもらえない。何度謝っても許してもらえず、2時間ほどしてようやく入れてもらうと、怒鳴られながら、身体の服などで隠れるような部分を何度も叩かれた。

結局、中学受験は不合格。地域の中学に入学し、吹奏楽部に入った桂木さんに母親は理解を示さず、「部活なんて役に立たん!」「何でそんなに練習しないといかんの?」と文句ばかり。中2になった桂木さんは、母親に文句を言われることに疲れてしまい、ついに部活を退部してしまった。

それでも、家に帰るのが嫌だった桂木さんは、「どうせ家に帰れば怒られるんだから一緒だ」と思い、わざと遅く家に帰るようになっていた。

しかし、母が頼む“お手伝い”は“絶対”だった。

「お風呂掃除、洗濯ものをたたむ、庭の草むしり、8歳下の妹の世話、食器洗い、お風呂を洗って沸かす、部屋の掃除、トイレ掃除、夕方以降の買い物は私の担当でした。祖父から受け継ぎ、母が管理している不動産の、家賃を受け取りに行かされたこともあります」

軍手をして庭の草むしり
写真=iStock.com/JohnAlexandr
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母親に言わせれば、勉強やお手伝い以外は無駄ということだ。

「ただ、行儀がいい。あいさつができる。賞をとる。など、他人から褒められたときは、喜んでくれていました。それがうれしくて、頑張っていました。でも、ひどく怒られたときは、バットや物で殴られて、アザができたり腫れたりしたこともありました……」

一方父親は、自分の機嫌が悪いと、子どもや母親に当たる人だった。意味もなく説教してきたり、お酒を飲んでからんできたり、怒鳴ったりするため、夫婦げんかが絶えなかった。

「母が夕ご飯を、自分と私と同じ量を出すと、父は怒って、『子どもは少なくていい!』と母への説教が始まりました」