継父と離婚した母、妹から虐待を受け続けた女性は19歳の時に家を出た。その後、出会った人のツテでアメリカへ留学。現地で2歳下の電気機器の工場に勤めていた男性と出会い、結婚した。2人の子を出産したが、夫は失踪。母と妹とは10年近く顔を合せていなかったものの、ハワイでの妹の挙式に招待され和解するかと思いきや、絶縁状態に陥ってしまった――。
乳児を抱きながら、目元をもんでいる女性
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【前編のあらすじ】九州地方在住の幕内絹子さん(仮名・50代)には、自分とは父親の違う妹がいる。継父はろくに働かず、外に愛人を作っては遊び歩き、たまに帰ってくると、母親にお金の無心。幕内さんが小3の時に空き巣に入って逮捕・服役した。2年後に出所し再度同居したが、その後両親は離婚。

一方、幕内さんは母親と3歳下の妹から執拗しつような嫌がらせを受け続け、高卒後、家出を決行。上京後、インディーズバンドのメンバーと交際。約1年後、友人の誘いでアメリカ留学すると2年後、交際相手とは別れ、アメリカでの生活を選んだ――。彼女の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか、彼女はそれから逃れることができたのか。

前編はこちら

母親ゆずりの男運

日本に彼氏を残しに在住していた幕内絹子さん(仮名・50代・当時26歳)さんは、現地で友人に車で家まで送ってもらっている途中、事故に巻き込まれる。

幸い幕内さんも友人も軽症だったが、しばらくの間、相手のドライバーと連絡を取り合ううちに、おかしなつながりができた。そのドライバーから職場の同僚として、ある男性を紹介された。同じ音楽好きの男性は2歳下で電気機器の工場に勤めていた。

その頃、幕内さんはビザの関係で、いったん日本へ帰国しなければならない期限が迫っていた。彼と別れた今、帰国するとなれば、頼れるのは実家しかない。しかし、実家に戻りたくなかった。そのことを件の男性に話すと、「僕と結婚すればグリーンカード(永住・条件付永住者カード)がとれるし、仕事もできるよ」と言った。悩んだ末に幕内さんは、男性の申し出を受け入れ、結婚した。27歳の時のことだった。

ところが男性は、結婚後に豹変ひょうへんした。

「もともと彼がマリファナを吸っていることは知っていましたが、時々であって、日常的にやっているとは思いませんでした……」

さらに結婚後、自分のものだけでなく、幕内さんのものまでも質屋に持ち込み、そのお金でマリファナを買っていることを知ったとき、「とんでもない人と結婚してしまった」と後悔したが、時すでに遅し、だった。

「でも結婚前、『僕は子どもが好き、自分の子どもができたら、どんなことをしても子どもと家庭を守る』って言っていたことが結婚してもいいと思った理由なので、子どもができたら変わってくれるだろうとずっと期待していました」

だが、その期待は完全に裏切られた。

約1年後に妊娠すると、カフェで働いていた幕内さんに対して、「お前はコーヒーを作ることしかできないだろう? 俺と同じだけお前は稼げるか?」と言うようになり、生活費を40ドルしかくれない。しかも、夫が家賃と光熱費を払うということになっていたにもかかわらず、何カ月も滞納し、稼いだお金はほとんど酒やマリファナ代に消えた。

「文句を言うと、怒鳴られたり首を絞められたりしました。服を破られたこともあります……」

やがて男の子を出産し、さらに第2子を妊娠。そんなある日のこと、夫は突然、「もっと遊びたい! まだ家族なんて欲しくなかったんだ!」と叫び、妊娠7カ月ほどの幕内さんに向かって、「市役所の福祉課に行って、生活の支援や住居の申請をするのを勧めるよ」とひとごとのように言った。幕内さんは勧められるままに市役所を訪れ、相談したが、「現状はまだ、婚姻関係にある彼が働いていて、一緒に生活しているため、申請することはできません」と断られた。

その後、幕内さんは女の子を無事出産。1歳半の息子と0歳の娘の育児に追われていると、いつしか夫は家を出たまま帰ってこなくなった。

途方に暮れた幕内さんは、住んでいたアパートの大家に事情を話し、相談。すると大家は、夫はすでに家賃を何カ月も滞納していたにもかかわらず、「1カ月だけタダで住まわせてあげる」と言ってくれた。

夫の上司とも知り合いだった大家は、上司にも話してくれたようだ。上司はオムツや粉ミルク、食料などを持ってきてくれたうえ、車がない幕内さんの足になり、市役所に連れて行ってくれた。幕内さんは福祉を申請すると、1カ月後には母子家庭のホームレスシェルターに入ることができた。その後、ソーシャルワーカーのサポートにより、低収入の家族のためのアパートに引っ越したあと、同時期に申請していた長期の家賃補助プログラムが受理され、少し治安の良いエリアのアパートに移ることができた。

夫が出て行ってから約1年1カ月後には、子どもたちを保育所に預け、パートタイムで働きながら、学費返済不要の学校へ通い始めた。

同じ頃、ようやく離婚が成立。彼は離婚調停に来なかったため、幕内さんが親権を獲得した。養育費に関しては、彼が払う金額は決められたものの、一度も払われることはなかった。