再婚後、両親が住む実家を2世帯住宅にリフォームした30代娘。父親が60代で認知症になったのに続き、子供を出産後、最愛の母が体調を崩し、一気に20kgもやせてしまった。大学病院でいくつもの検査を受けた母親が医師から告げられたのは、娘を打ちのめすに十分な深刻な病名だった――。
3つ並んだおにぎり
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この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

仲の良い両親にがん

東北地方在住の春日暁美さん(仮名・30代・既婚)の両親は、同じ運輸系の会社に勤めている時に出会い、父親が36歳、母親が31歳の時に社内結婚。3年後に春日さんが生まれた。

アクティブで情に厚く、穏やかな性格の父親は、大のお酒好きで、居酒屋で出会った人や留学生を家に連れてきて泊めることや、家で宴会を開くことがよくあった。父親は母親が妊娠中でもお構いなく飲み仲間を家に連れてきたが、母親は持ち前の明るさやコミュ力で、嫌な顔ひとつせずもてなしていた。

「一人っ子の私には反抗期もなく、仲が良い家族でした。ただ、お酒を飲みすぎて酔っ払い、何度も同じことを言う父は、幼い頃から大嫌いでした。DVは一切ありませんでしたが、父のべろんべろんになった姿は、今でもトラウマです」

両親は春日さんが小さい頃から、父親の運転でさまざまなところに連れて行ってくれた。中でも、自前のカヌーを車に積み込み、川遊びによく出かけた。

やがて春日さんは大学を卒業すると、教育系の会社に就職。

その頃56歳だった母親は、友人に誘われて健康診断を受けると、乳がんが見つかり、手術を受けた。幸い全摘出は免れ、抗がん剤や放射線治療もせずに済んだ。

春日さんは22歳の頃、仕事を通じて出会った同い年の男性と交際を始め、25歳で結婚。実家近くの新居に移った。

2016年秋。65歳で定年を迎え、嘱託雇用で働いていた68歳の父親が、会社で受けた健康診断で再検査になり、大学病院で詳しい検査を受けたところ、胃と食道の接続部にがんが見つかった。すぐに抗がん剤で腫瘍を小さくする治療を開始し、翌年1月には取り除く手術を受けた。術後思うように回復せず、入院期間は3カ月にも及んだが、母親は毎日父親の病院に通った。

父親の入院中、63歳の母親は、父親の物忘れがひどくなってきていることを心配し、主治医に相談。脳神経外内科を勧められ、受診すると、初期のアルツハイマー型認知症との診断が下りる。以降、3カ月に1度定期的に受診することとなった。