2世帯住宅に

2017年。29歳になった春日さんは離婚し、実家の近くで一人暮らしを始める。離婚理由は、相手の不倫だった。

30歳になった春日さんは、仕事を通じて2歳年下の現在の夫と出会い、翌年に結婚。前回同様、実家の近くで新婚生活を始めた。

「私が一人娘だったこともあり、母が、『結婚しても、近くに住んでほしい』と言っていたのと、私も住み慣れたエリアで暮らしたかったので、結婚1度目も2度目も、実家から離れませんでした。その代わり、職場は家から1時間半もかかります」

春日さんは、結婚して家を出てからも、母親とは月に何度も会い、数日に1回はLINEするほど仲が良かった。

再婚から2年後の2020年。春日さん夫婦と両親で話し合い、実家を2世帯住宅にリフォームすることに。それまで1階は賃貸と2台分の駐車場で、2階と3階で両親が暮らしていたが、1階を1台分の駐車場だけ残してあとは春日さん夫婦の居住スペースにし、同居することとなった。

「婿に入ってくれていた夫は、リフォームしなくても、元の間取りのままで同居してもいいと言ってくれていました。義両親も、『近くに住んでいるのに、別々に住んでいる方がお金がもったいない』と言って賛成してくれました」

出産後の兆し

2022年1月。春日さんは無事女児を出産。コロナ禍で面会ができなかったため、翌日春日さんは、早く娘を見せたくて母親にLINE電話した。すると母親はとても喜んでくれたが、どこか元気がなく、「ちょっと喉が痛くてね。あと、なんか食欲なくて」と言った。

キッチンの方からは、「おーい、いつ帰ってくるんだー?」と父親の声。この頃の父親は時間間隔が鈍り、数分おきに同じことを何度もたずねた。春日さんと母親は、運転免許証を返納するよう父親に勧めてきたが、一向に聞き入れない。68歳でがんを患い嘱託の仕事を辞めてからは、母親と買い物やランチをして気ままに過ごしていたが、家の外の掃き掃除と食器洗いだけは毎日欠かさなかった。

出産後の退院の日、母親は父親の運転で迎えに来た。帰りに退院祝いのため、予約してあったお寿司を受け取り、帰宅する。母親は、やはり食欲がない様子だった。好きだったお酒も、「今日はお祝いだから、一口だけ」と言ってほとんど飲まない。

春日さんは気になりつつも、自分の産後の痛みや、初めての育児に追われ、母親のことを気にかける余裕がなかった。

「私は出産時に出血多量による貧血だけでなく、会陰裂傷3度という大ケガを負っていたそうです。そんな状態で娘の沐浴もくよくなんてできるわけもなく、夫と母にやってもらっていました」

退院から約1週間後、沐浴してくれていた母親の動きがおかしいことに気づく。「どうしたの?」とたずねると、「なんか、お腹が痛いの」と母親。すると夫が、「あとは僕一人でできますから大丈夫ですよ」と言ってくれたため、母親はソファにうずくまるようにして座った。

春日さんの産後の痛みが良くなっていくのと反比例するように、母親の腹痛は強くなっていった。そして春日さんの退院から1カ月経つ頃には、痛みで布団から起き上がれないほどになっていた。