子どもは親の所有物じゃない
結局こんな仕打ちをするのなら、母親と妹は、なぜ幕内さんを結婚式に呼んだのだろう。
幕内さんへの償いの気持ちがあったと仮定すると、「私はあんたの子どものベビーシッターをするためにわざわざハワイまで来たわけじゃない」という言葉から分かるように、約8〜9年ぶりの再会にもかかわらず、幕内さんが母親を都合良く扱いすぎていたようにも感じる。
同様に、「妹の旦那は父親の事情は知ってるの?」という幕内さんの質問も、母親にしたのは悪手だった。デリケートな話題だからこそ、妹自身にするべきではなかったか。
だからといって、幕内さんが生まれてから家出をするまで、母親が幕内さんにしてきたことは、けっして許されることではない。
幕内さんが言うように、母親は、当時不倫関係にあった国立病院の事務長だった実父に事実上捨てられたという恨みから、幕内さんを疎ましく思ったのだろう。生まれてからしばらくは母方の実家に預けられ、ほとんど自分で育児をしていない。もともと疎ましく思っていたうえに、一緒にいる時間が少ないことで、なおさら愛情が芽生えなかった。
一方母親は、不倫関係を清算した後に、結婚した大工(その後、離婚)との子=妹のことは自分で育児をしている。だからどこかに出かけても、幕内さんを平気で置き去りにできたし、継父を閉め出した日も、何をするかわからない継父と対峙するため、不測の事態に備えて、実家に預けたのは妹だけだった。
母親にあるのは、実父に対する恨みばかりで、「なぜ私1人がこの子を育てなくてはならないのか」という憤りが幕内さんに向かうあまり、母親を幕内さんにとっての“毒母”にさせたのだ。
実は幕内さんが高3の時、一度だけ母親に連れられて、実父に会っている。
「感動的な再会では全くなく、知らないおじさんと何時間か過ごした……という感じでした。特に向こうも感激している様子もなく、私はヘッドフォンで音楽を聞きながら、食事の席にいただけです。『学校はどうだ?』『何の科目が好きだ?』とか、当たり障りのない質問をされ、それに答えるだけ。『すまなかった』とか『会いたかった』とかも一切なかったですから……」
その後、東京に出てから2度、アメリカに渡ってから1度、実父から電話があった。
「実父は、私がどういう育て方をされてきたかを聞いたことは一度もなく、ただ一方的に、母親に対する愚痴や悪口、嫌な思い出話を聞かされるだけでした。私は相づちを打ちながら、心の中で、『母がどんな人間だったのかなんて、私が一番知ってるよ。あんたは一生のうちの短期間だけだったし、逃げる場があったけど、私は何年も過ごしたんだから』と思っていました」
このことからわかるように、幕内さんの実父は、“妻と別れられなかったから母親を捨てることになってしまった”のではなく、“母親の人格的な問題に気がついたから妻と別れなかった”のだ。もちろん実父自身の人格にも問題がありそうだが……。
一時的で無責任な感情で不倫関係に陥った両親のせいで、この世に生を受けた幕内さんはとばっちりもいいところだ。