MRIの結果は、前立腺がんステージ4だった
2021年5月。腰、肩、肩甲骨の痛みがひどいため、山田さんは3カ月ほど寝込んでしまう。ようやく整形外科を受診し、MRIを受けたところ、すぐに総合病院への紹介状を用意された。2日後、検査結果を聞きに行くと、前立腺がんのステージ4であることが告げられた。母親が息子を息子とわからなくなるショッキングな出来事から半年、さらなる衝撃に直面したことになる。
「がん細胞の転移のせいか、2020年ごろからリンパ経路にコリや痛みが出始め、以前からあった腰痛もひどくなり、夜は痛みや母への罪悪感で眠れず、体重がどんどん減り、1年で10キロくらいは減ったと思います」
山田さんはずっと、年に一度の健康診断は受けていた。それに加え、糖尿病があったため、2カ月に一度は病院を受診していた。前立腺がん検診も、1年に一度か隔年で受けていた。2018年に受けた前立腺がん検診で、前立腺がんの腫瘍マーカーの値が少し高めだったが、生体検査するにはもう少しというレベルだった。
「生体検査は嫌な検査だったこともあり、医師からもやんわり勧められましたが、なんとなく引き延ばしにしていて、その間に悪化したようでした……。私が消極的だったことが早期発見につながらなかった原因だと思います」
一説には、睡眠時間が6時間以下の人は、7時間以上の人と比べて、がんの発症リスクが40%増加するともいわれている。もしかしたら、母親の介護のために続いた睡眠不足が、がんの進行を早めたのかもしれない。
2021年12月。治療の合間に母親の面会に行った。年末にして、この年初めての面会だった。
約1年半ぶりに会った母親は、やはり山田さんのことを分からず、「あっちは私の息子だけど、この人は誰だえ?」とそばにいる職員にたずねた。
遠く離れたガラス越しの面会に加えて、山田さんは10キロ以上体重が落ちていた。そのせいだろうか。母親は、山田さんと妻の傍らに立っている男性職員を自分の息子だと言った。
「あっちにいるのが、お腹を痛めて産んだ息子さん。こっちの人は、息子さんの奥さんですよ」
母親のそばにいる職員が訂正する声が聞こえる。
「末期がんだと告知されて、5年後の生存率62%とか言われて、実の母親からは『この人』呼ばわりされ……。いったい、『自分の老後は何だったんだろう?』と思いました」
山田さんが前立腺がんのステージ4だと聞いた妻は、ショックでしばらく憔悴しきっていた。しかし、放射線治療とホルモン療法が効き、みるみる体調が良くなってくると、前向きに過ごせるようになった。
二十数年前に実家を出て、それぞれ家庭を持っている息子たちも、知らされたときはかなり落ち込んだ様子だったが、「治療に専念してくれ」と仕送りを始めてくれた。無職になり、医療費の自己負担額が国保の限度額上限に達している山田さんは心から感謝した。
「ただ兄は、『お前がいなくなったら、これから亡くなる母の供養やお寺とのやりとり、実家の処分などをどうしよう』と言い、急に不安になったようでした……」