平日の夜は家族でパチンコへ。土日は競馬や競輪場へ。ギャンブル好きな両親に育てられた30代男性は高卒後、上場企業に就職。仕事仲間に誘われパチスロ専門店へ行くと、ビギナーズラックで2万円勝ち、たちまちハマってしまう。以後、クレジットカードを何枚も作り、キャッシング枠をフルに利用する自転車操業のサイクルに。仕事も自主退社に追い込まれてしまった――。(前編/全2回)
レースを駆け抜ける馬たち
写真=iStock.com/Somogyvari
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ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーが生まれるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

ギャンブル家族

北海道出身で現在は東北地方に在住の桜木潤さん(仮名・30代・既婚)は、インフラ関係の会社に勤める父親と、専業主婦の母親の間に生まれた。両親は中学校の同級生で、高校時代に交際が始まり、22歳で結婚した。夫婦仲は良好、桜木さんの3歳上の兄と、2歳下の妹とのきょうだい仲も良かった。

そんな一見すれば、ごく普通の仲の良い家族に見える桜木家だが、一般的な家族とは少し違っていた。桜木家では、日常的にギャンブルを楽しんでいたのだ。

両親は、桜木さんが物心ついた頃にはすでにギャンブル好きで、競馬、競輪、パチンコ、スロット、宝くじまで、日本にあるほとんどのギャンブルを経験。子どもたちが小さいうちは控えていたようだが、それでも桜木さんが3〜4歳の頃には、競馬場に連れて行ってもらった記憶があった。桜木さんが中学に上がる頃には、平日の夜は家族でパチンコへ。土日は競馬や競輪場へ行くのが当たり前のようになっていた。

父親が転勤族だったため、桜木さんは小学校入学後、転校を何度も繰り返したが、人見知りせず、誰とでもすぐに友達になれる社交的な子どもに成長した。どこに行ってもすぐに打ち解けることができ、友達づくりに困ったことはなかった。

しかしその反面、長く深く付き合える友達ができず、その場だけ楽しく過ごす浅い付き合いがほとんどだった。

中学校に入った桜木さんは、剣道とバスケットボールに熱中していた。剣道は、初段をとってやめ、バスケットボールはレギュラー選手としてプレーしていた。マンガ『スラムダンク』にハマり、あまり勉強をしなかったが、両親は勉強や成績のことに口出ししない人だった。

その結果、桜木さんは高校受験では第一志望の普通科の高校に落ち、第二志望の工業高校へ入学。高校でもバスケットボールに打ち込み、引退後はひたすら友達と遊んで暮らした。それでも内申点が良かったため、高校卒業後は上場企業に就職することができた。