始まりは熱中症
中国地方在住の鈴木愛子さん(60代・既婚)は、高校を出てジーンズメーカーで働いていた頃、友人の紹介で農家の長男である3歳年上の男性と出会い、25歳の時に結婚。義両親だけでなく、義祖母、高校を卒業したばかりの義妹とも同居することになった。
鈴木さんは、農業に関して全くの素人だったが、がむしゃらに農業や家事を覚えた。結婚の翌年に長女、その2年後に長男、さらに1年後に次男に恵まれ、その後、30年近く忙しいながらも充実した生活を送っていた。
ところが2012年の初夏、田植えが終わった夜に夫が倒れ、約1カ月半後に59歳で亡くなった。以前からずっと体調が悪いと言っており、死因は肝硬変だった。夫は若い頃からお酒が大好きだった。
その後も50代の鈴木さんは、80代の義両親、30代シングルマザーの長女とその小学生の息子、30代の長男夫婦と未就学児の子供1人、30代介護福祉士の次男の9人で同居している。
鈴木さんは家族全員のための家事をしながら、農家を継いだ長男の手伝いのほか、日中は不登校支援のボランティアを20年続け、夕飯の後は工場で働き、時間を見つけては自分が好きな野菜を育てるなどして、穏やかに暮らしていた。
2019年8月3日の深夜23時ごろ。その日、疲れていた63歳の鈴木さんは、すでに布団に入り、就寝する準備をしていた。
すると突然、実家で87歳の母親と暮らす4歳年上の姉から電話がかかってきた。
「お母さんが倒れてる! 私、気がつかなくて、倒れて30分以上経っていたかも!」
と気が動転した様子。
「今は意識は戻ってるけど、これから救急車で病院に運ばれるから、念のためすぐ来て!」
鈴木さんは急いで着替え、車を走らせて、指定された救急病院へ向かった。
離婚歴のある姉は、1度目の結婚後も2度目の結婚後も、実家で母親と同居している。鈴木さんの父親は、1989年に迎えた61歳の誕生日の朝、冷たくなっていた。急性心不全だった。もともと姉は、子供の頃から「自分が両親の老後の面倒を見る」と心に決めていたようだ。2人目の夫の仕事の都合でしばらく実家を離れていたが、父親が亡くなると、1人遺された母親を心配し、すぐに実家に戻った。姉には子供が3人おり、末娘(鈴木さんにとって姪)夫婦が、姉夫婦と母親と同居していた。
病院に着き、姉に状況をたずねると、母親は救急車で運ばれる時には意識が戻り、「私、転んだの? 覚えてないなあ」と言っていたという。
鈴木さんが母親と面会できたのは、深夜0時を回ってからだった。若い頃からリウマチを患い、足が痛むため外出時は杖や介助が必要で、家の中でも杖を使ったり伝い歩きしたりしていた母親は、要支援1だった。
その日は就寝後にトイレに起き、トイレから戻る時に立ったまま意識を失って倒れたため、顔面を床で強打し、鼻と頬を骨折したようだ。目の上は大きなタンコブができ、顔面の半分ほどが赤黒くなっていた。
「5年ほど前に脳梗塞を起こしていた母は、血液をサラサラにする薬を飲んでいた影響もあり、鼻から上は痣のように変色して、まるでお岩さんのようでした」
母親は駆けつけた鈴木さんを見ると、「今年はお化け屋敷行かなくていいわ〜」と、冗談っぽく言った。そんな明るい調子の母親に、鈴木さんは胸をなでおろした。