25歳で農家に嫁いだ女性。3歳上の夫を59歳で亡くした後も義実家で3人の子供や義父母などと暮らした。60代に入ると実母が病に倒れた後、義母や義父も次々と……。90歳前後の3人の介護がいっぺんにやってきた女性の孤軍奮闘の日々が始まった――。
窓のそばに立ち、カーテン越しに外を見つめるシニア男性
写真=iStock.com/Yaraslau Saulevich
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹の有無に関係なく、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

始まりは熱中症

中国地方在住の鈴木愛子さん(60代・既婚)は、高校を出てジーンズメーカーで働いていた頃、友人の紹介で農家の長男である3歳年上の男性と出会い、25歳の時に結婚。義両親だけでなく、義祖母、高校を卒業したばかりの義妹とも同居することになった。

鈴木さんは、農業に関して全くの素人だったが、がむしゃらに農業や家事を覚えた。結婚の翌年に長女、その2年後に長男、さらに1年後に次男に恵まれ、その後、30年近く忙しいながらも充実した生活を送っていた。

ところが2012年の初夏、田植えが終わった夜に夫が倒れ、約1カ月半後に59歳で亡くなった。以前からずっと体調が悪いと言っており、死因は肝硬変だった。夫は若い頃からお酒が大好きだった。

その後も50代の鈴木さんは、80代の義両親、30代シングルマザーの長女とその小学生の息子、30代の長男夫婦と未就学児の子供1人、30代介護福祉士の次男の9人で同居している。

鈴木さんは家族全員のための家事をしながら、農家を継いだ長男の手伝いのほか、日中は不登校支援のボランティアを20年続け、夕飯の後は工場で働き、時間を見つけては自分が好きな野菜を育てるなどして、穏やかに暮らしていた。

2019年8月3日の深夜23時ごろ。その日、疲れていた63歳の鈴木さんは、すでに布団に入り、就寝する準備をしていた。

すると突然、実家で87歳の母親と暮らす4歳年上の姉から電話がかかってきた。

「お母さんが倒れてる! 私、気がつかなくて、倒れて30分以上経っていたかも!」

と気が動転した様子。

「今は意識は戻ってるけど、これから救急車で病院に運ばれるから、念のためすぐ来て!」

鈴木さんは急いで着替え、車を走らせて、指定された救急病院へ向かった。

離婚歴のある姉は、1度目の結婚後も2度目の結婚後も、実家で母親と同居している。鈴木さんの父親は、1989年に迎えた61歳の誕生日の朝、冷たくなっていた。急性心不全だった。もともと姉は、子供の頃から「自分が両親の老後の面倒を見る」と心に決めていたようだ。2人目の夫の仕事の都合でしばらく実家を離れていたが、父親が亡くなると、1人遺された母親を心配し、すぐに実家に戻った。姉には子供が3人おり、末娘(鈴木さんにとって姪)夫婦が、姉夫婦と母親と同居していた。

病院に着き、姉に状況をたずねると、母親は救急車で運ばれる時には意識が戻り、「私、転んだの? 覚えてないなあ」と言っていたという。

鈴木さんが母親と面会できたのは、深夜0時を回ってからだった。若い頃からリウマチを患い、足が痛むため外出時は杖や介助が必要で、家の中でも杖を使ったり伝い歩きしたりしていた母親は、要支援1だった。

その日は就寝後にトイレに起き、トイレから戻る時に立ったまま意識を失って倒れたため、顔面を床で強打し、鼻と頬を骨折したようだ。目の上は大きなタンコブができ、顔面の半分ほどが赤黒くなっていた。

「5年ほど前に脳梗塞を起こしていた母は、血液をサラサラにする薬を飲んでいた影響もあり、鼻から上は痣のように変色して、まるでお岩さんのようでした」

母親は駆けつけた鈴木さんを見ると、「今年はお化け屋敷行かなくていいわ〜」と、冗談っぽく言った。そんな明るい調子の母親に、鈴木さんは胸をなでおろした。