夫が若くして他界した後も、義父母の家で暮らしていた女性。高齢となった義父は畑仕事中に不慮の死を遂げ、要介護4の義母は自宅で女性からの献身的な介護を受け、92歳で息を引き取った。女性は介護の重労働からは解放されたが、義姉やその夫は義両親の通帳から勝手にお金を引き出し、女性を追い出そうと画策している――。

前編のあらすじ】中国地方在住の鈴木愛子さん(60代・既婚)は25歳の時に農家の長男で3歳年上の夫と結婚。義両親だけでなく、義祖母、高校を卒業したばかりの義妹とも同居し、がむしゃらに農業や家事を覚えた。3人の子供を育て50代になっていた2012年の初夏、田植えが終わった夜に夫が倒れ、59歳で亡くなった。肝硬変だった。

その後も義実家で同居を続けていた鈴木さんだが、7年後、87歳の母親が熱中症で倒れた後、腸閉塞を起こし、手術を受けた。その直後には同居する89歳の義母が高カリウム血症で救急搬送され、さらに92歳の義父までもが疲労で倒れた。夫を亡くした後、3人の介護を一気に引き受けた鈴木さんはその後――。

在宅介護スタート

2019年8月末の介護認定で要介護5だった母親(87歳)は、2カ月後にリハビリ病院に転院した。転院先の病院の主治医は、言いにくそうにこう話した。

「もし急変した場合、普通は救急車でまた救急病院に運ばれてICUで治療をしますが、もうご高齢なので……」

鈴木愛子さん(中国地方在住・60代・既婚)は意をくんでこう答えた。

「延命治療のことですよね? そうですね、母は今までよく頑張ったと思います。もし急変したら、もう救急車で運ばない方向でお願いします」

看取りまでお願いする、という書類にサインした。

「気管切開手術を受けた母は、転院先がなかなか決まりませんでした。母の気管切開手術を決めたのが私だったため、『本当にこれで良かったのか? 母はこれで幸せなのか? あの時気管切開していなかったら、今頃楽になっていたのかも……』と自分を責め続けていました。でも母は、言葉は失ってしまったけど、命は助かりました。家族の顔が見えて、声も聞こえる。笑うことだってできる。もっと回復したら、喋れるようになれるかもしれない。『母ならそうなる!』と信じることにしました」

リハビリ病院に転院した母親はみるみる元気を取り戻し、人工呼吸器も外されることに。

しかし喜んでいたのもつかの間、「病棟を移る」という連絡を受け、鈴木さんが病院へ向かったところ、そこは古くて暗い病棟。周囲はほとんど寝たきりの高齢者ばかりで、時にはうなり声が響き、ベッドの柵に縛り付けられている患者もいた。

誰もいない大部屋の病室を真上から
写真=iStock.com/Pixelci
※写真はイメージです

「こんな言い方するのは心苦しいのですが、“死んでいくのを待っているような場所”でした。このままこの病院で最期を迎えるなんて……と思うと涙が出てきました」

この日、鈴木さんはその足で実家に行き、「お母さんをこの家で最期まで見たい! 今のお母さんを家で見るのが大変なことは分かってる! 一人ではできないのもわかってる! でも無茶は承知の上!」と姉に訴えた。

2020年の正月。鈴木さんの家族と姉の家族が集結し、家族会議を開催。全員で話し合い、家族で協力して、母親を母親の家で在宅介護をすることに決定した。

主治医に相談すると、「家族さんが大変ですよ」と言いつつも、反対はしなかった。鈴木さんたちが「頑張りたいです」と言うと、「介護者が吸引の仕方やベッドから車椅子への移乗など、看護研修を受け、しっかりと準備ができるなら……」という回答を得る。

主治医は、病棟の看護師やソーシャルワーカー、ケアマネジャーや訪問看護師、地域のかかりつけ医たちと連携してチームを組み、約3カ月後に在宅介護ができるよう、鈴木さんや姉たちに、気管切開の吸引・吸入、おむつ替え、鼻からの経鼻栄養の仕方などを教える段取りをしてくれた。

「協力してくださった看護師さんや介護士さんたちからはこう言われました。『気管切開していたり、経鼻栄養や吸引・吸入などが必要な患者さんを家族で介護したりすることは、なかなかできないこと。私たちもこのような経験ができて良かったです』『見本となる在宅介護の仕方です。一緒に経験させてくれてありがとう』と。感謝され、私たちもうれしかったです」

そしていよいよ2020年3月。88歳の母親の在宅介護がスタート。前年に熱中症で倒れてから、約7カ月ぶりの帰宅だった。