突然の義父の死

2020年4月。いつもの朝だった。90歳の義母は起きるのが遅いため、朝食時は93歳の義父とキッチンに2人でいることが多かった。その日も7時ごろ、テレビを観ながら、「コロナ、いつ収束するんだろうね」などと話していた。

午後から義父と義母は、カボチャの苗を植えるため、家から車で5分ほど離れている畑に行っていた。畑の草を取り終えると穴を掘り、苗を植えようと横を見ると、義母は義父がいないことに気がつく。

積み上げられたカボチャ
写真=iStock.com/sdstockphoto
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辺りを探すと、義父は畑と田んぼの間の川にはまって溺れていた。義母は耳が遠いため、義父が助けを求めていたのに聞こえなかったのだ。

義母は急いで義父を助けようと、長いくわを義父に差し出したが届かず。義母はすぐ近くの家まで、歩けない足で一生懸命助けを求めに行くも、その間に義父は下流に流される。近所の人が義父に気付き、川から救い上げようとしたが、衣服に水が含まれ重たくなっていたため、なかなか引き上げられない。そうしている内に救急隊が到着するも、すでに義父は心肺停止状態だった。

鈴木さんは、母親の介護で実家へ行っていた。義実家には誰もいなかったらしく、義母から聞いた連絡先に救急隊が連絡し、連絡を受けた鈴木さんが救急病院へ向かうと、義母は警察に事情聴取されていた。

義父の死亡確認は鈴木さんが行った。医師が義父の目にライトを当て、「15時24分です」と言ったが、鈴木さんは目の前で何が起こっているのか、事態がのみ込めずにいた。

今から思えば、義父は少し前から「しんどい、しんどい」と言って、義母と畑仕事をしては横になっていた。お風呂から上がると、足元がふらついていることが多かった。「なんでもっと早く気付かなかったのだろう」と、後悔がこみ上げる。

しかし泣く時間はなかった。事情聴取されている義母の元へ行き、耳の遠い義母の通訳を最後まで果たした。

何時間ぐらいたったか。義父は検死が終わると霊安室に通されていた。事情聴取から解放された鈴木さんは、やっと義姉、義弟、義妹に連絡することができた。葬儀の手配をしなければならなかったが、鈴木さんは放心状態だった。

「こういう時、8年前に亡くなった跡取りの夫がいてくれたらなと思いました。世帯主の義父が亡くなってしまい、町内のことは誰もわからなくなりました。お嬢様育ちで世間知らずな義母は何もわかりません。私は、朝まで生きていた義父を亡くし、今はコロナでお葬式の仕方もわからない、わからない尽くしの状態なのに、案の定、外野である義姉や義姉婿、義弟がうるさく口ばかり出してくることに、うんざりしていました」

何とか葬儀の打ち合わせを行い、喪主は鈴木さんの長男(34歳)が務めることになった。8年前、父親の時にもわからないなりに初めて喪主を経験し、今回2度目の喪主だ。

「まだまだ若いし、田舎で後継者としてやっていくのは大変です。親としては『よく頑張っている!』と99点をあげたいのに、外野たちはそうは思わないのでしょうね。義父が亡くなったそばからゴタゴタが始まり、神経やられそうでした」

鈴木さんは母親の介護にも行けなくなった。姉たちは、「こっちのことはいいから心配しないで」と言ってくれているが、できれば義実家のことはすべて投げ出して、母親のそばに居たかった。

「いろいろな手続きなど、義母ができないので、嫁の私が全部やっているのですが、正直ヘロヘロです。相続の話も出ていますが、嫁の私には関係ありません。実家は協力体制バッチリなのに、義実家はみんな勝手なことばかり言っていて大変です」

落ち込んだ様子の義母は、「私が代わりに死ねば良かった」と何度も口にした。義父が亡くなった翌日から、義姉婿が毎日のように義実家に入り浸り始めた。

「義姉婿はほとんど毎日義母のところへ来て、自分がこの家の主のように振る舞い始めました。私は、義姉婿の車を見ただけで、動悸どうきがして血圧が高くなり、病院へ通うようになりました」