悪いことは重なる

母親が倒れる2カ前(2019年6月)のこと。鈴木さんは車の運転中、追突事故に遭った。車は修理に出すことになり、鈴木さん自身も腰や背中、首などが痛くて、一週間に2〜3度病院通いをしていた。そのため、しばらく実家に顔を出せていなかった。その間に母親は倒れたのだ。

さらに悪いことは重なる。母親が倒れた8月3日から約2週間後の8月19日。その日は92歳の義父が、89歳の義母を連れて、腎臓の専門病院に診察を受けに行く日だった。いつもなら鈴木さんが義母を連れて行くはずだったが、その頃鈴木さんは母親が危ない状況だったため、義父が快く引き受けてくれた。

その日の朝、鈴木さんは何となく、「義母がしんどそうに歩いているな」とは思っていた。しかし鈴木さんは母親のことが心配で、すぐに忘れてしまった。午後、鈴木さんが母親の病院にいると、義父から電話がかかってきた。

院内の廊下をストレッチャーを押して素早く移動している医療従事者
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「ばーさんが息ができようらん。これから救急車に乗って、○○病院に運ばれる。わしゃ、どうしやーええかのう?」

鈴木さんは、わけが分からなかった。

「息ができてない? どういうこと? と思いました。若い頃から腎臓が悪い義母は今日、かかりつけの病院から紹介状をもらい、腎臓専門の病院に行く日でした」

義父に聞いても訳がわからないため、鈴木さんは母親の病院を後にし、車で1時間ほど離れた義母が運ばれた病院へ向かった。鈴木さんが駆けつけると、義母は救急治療室のベッドに寝かされ、その横で義父がオロオロしていた。

担当の医師からの説明によると、義母が呼吸をうまくできなくなったのは、カリウムの取り過ぎにより心臓に負担がかかったためだという。義母はその年の夏、ろくに食事を取らずに、大好物の(カリウム含有量が多い)スイカばかり食べていたため、通常の半分しか呼吸ができていない状態に陥っていたのだ。そのまま義母は2週間入院することになった。

以降鈴木さんは、自宅から1時間ほどかけて午前中は義母の病院へ。午後からは母親の病院へ行き、夕方からは自分の追突事故後のリハビリを受けにまた別の病院へ行くという、3つの病院をはしごする生活が始まった。

2週間ほどたった頃、義母の退院が決まる。しかししばらくは車椅子状態で、週1回の通院が必要だ。

鈴木さんは、できれば母親の側から片時も離れたくなかった。義母が退院して家に帰ってきても、義母の世話まで手が回らない。そこで鈴木さんは、家族のかかりつけ病院の医院長に相談。すると1週間ほど義母を入院させてもらえることになった。

「これで義母の世話は洗濯物を取りに行くだけになり、随分気が楽になりました。母はいつ亡くなるかわからないような危険な状態だったため、私は母の側から離れたくなかったのです」

そんな悪いこと続きの8月。母親の病院から帰宅して夕食を作り始めると、義父はリビングで寝ていた。鈴木さんは義父の様子が気になり、ふと夕食作りの手を止めて義父のそばへ行くと、「頭がフラフラする。歩けない」と弱々しい声で言う。

「これはおかしい」と思った鈴木さんは、まだかかりつけ病院がギリギリ開いている時間であることを確認すると、なんとか義父を車に乗せ、病院へ向かう。義父は車の中で嘔吐し、病院に着くと、看護師たちの助けを得て、車椅子に移乗。義父は病院内でも嘔吐した。

その日義父はさまざまな検査を受け、義母の隣の部屋で入院することに。しかし義母には義父が入院したことは伏せておいた。心配性な義母が大騒ぎすることが分かっていたからだ。

結果、義父は疲労がたまっていただけで、1日入院して点滴などを受け、翌日には帰宅した。

「『3人の介護がいっぺんにやって来た〜!』という感じでした。幸い、義両親はすぐに退院が決まりましたが、高齢者の病院通いも大変です。『いつかは来る』と覚悟はしていましたが、3人一度に来るのは勘弁でした……」

鈴木さんは、「こんなとき夫がいてくれたら」と思ったという。鈴木さんが夫と結婚した当初から、義母は糖尿病を患い、いつからか腎臓まで悪くしていた。鈴木さんは9人もの家族の食事とは別に、義母専用の塩分控えめの食事を作っていた。「義母の食事づくりは大変だけど、重症の母に比べれば、まだ身の回りのことは自分でしてくれている義両親には感謝しなくては」と自分に言い聞かせた。

夫には姉と弟と妹がいたが、義妹は関東に住んでいるため、なかなか会うことはない。義弟は長男(鈴木さんの夫)に家督を譲り、車で2時間ほどの遠方へ婿に出ていた。義姉は車で30分ほどのところに住んでいたものの、両親の世話をする気はサラサラないようだった。しかしこの義きょうだいたちが、鈴木さんにとって大きな悩みのタネだった。