安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也被告は、どのような人生を歩んできたのだろうか。ジャーナリストの鈴木エイトさんは「2002年に山上徹也の母親が自己破産して以降、厳しい人生を余儀なくされた。2005年には自殺未遂事件を起こし、『兄の生活が困窮しているので自分の死亡保険金を渡して助けてやりたかった』と語っている」という――。

※本稿は、鈴木エイト『「山上徹也」とは何者だったのか』(講談社+α新書)の一部を再編集したものです。

事件現場となった近鉄大和西大寺駅前
筆者提供写真
事件現場となった近鉄大和西大寺駅前

安倍元首相銃撃事件に至る「山上徹也の足跡」

2022年7月8日午前11時31分、奈良県内、近鉄大和西大寺駅前において参院選応援演説中の安倍晋三元首相を背後から銃撃――。

日本中をこのニュースが駆け巡った「あの瞬間」につながる、山上徹也という人物の来歴を追ってみたい。事件の背景が明らかになるにつれ、彼の生い立ちやその後の人生に日本中の注目が集まった。

山上徹也と安倍晋三、それに私(鈴木エイト)のトピックも交え、事件発生までを追ってみよう。並べることで、山上徹也の足跡がよりはっきり見えてくるだろう(文中敬称略)。

2002年に山上徹也の母親は自己破産

前提として私「鈴木エイト」についても記しておきたい。

私は1968年、滋賀県で生まれた。18歳で大学入学のために郷里を後にし、静岡で1年過ごした後、19歳から東京で暮らしている。日本大学を卒業後、就職せず音楽活動を行っていた。ミュージシャンになることを断念したあとも、定職には就かずアルバイトや契約社員として様々な職業を経験した。

カルト問題との関わりは2002年、契約社員として都内の会社で働いていた時期に渋谷で旧統一教会(世界平和統一家庭連合、以下「統一教会」)による偽装勧誘の現場に遭遇し、介入したことに始まる。

私が統一教会の問題に関わり始めた2002年、山上徹也の母親は教団への過度な献金などによって自己破産する。