山上徹也被告はなぜ安倍晋三元首相を銃撃したのだろうか。ジャーナリストの鈴木エイトさんは「安倍元首相を統一教会に加担する人物であると見ていたのは明らか。政治家として統一教会との関係を深め、統一教会による被害を防止するどころか、むしろ拡大させたことが、事件を招いてしまった」という――。
※本稿は、鈴木エイト『「山上徹也」とは何者だったのか』(講談社+α新書)の一部を再編集したものです。
教団と政治家の関係については中途半端なまま
事件後、統一教会の悪質さは十分社会へ伝わった。このまま教団への解散命令請求がなされ、数年がかりで裁判所が宗教法人の解散命令を出せば教団にとってかなりのダメージとなるだろう。それはこれからの被害発生を間違いなく抑制するものとなる。
一方、事件発生から連日報じられていた教団と政治家の関係については中途半端なまま幕引きが図られ、メディア報道もほとんどストップしている。
この状況を山上徹也被告は想定していただろうか。
私は山上が描いていたであろう“絵”を最小から最大までの振れ幅を想定した上で追ってみようと思い、この本を書き進めてきた。
様々な可能性が考えられた。思いつくまま書きだしてみる。まずは決めつけをせず先入観を極力排除した上で見ていこう(文中一部敬称略)。
山上徹也はシナリオ通りの行動をとっていた?
・「義憤に駆られた緊急措置」説
自分と同じような被害者をこれ以上出さないために、悪質な教団をここまで生き永らえさせてきた元凶である安倍晋三を緊急措置的にターゲットとした。
・「綿密な計画の上で社会変革を図った」説
すべてを計算し尽くし、その後の社会の状況を構築するという、社会変革を狙って起こした可能性。その場合は、私も登場人物として配役が決められていたのかもしれない。
事件後には「『現場では抵抗せず大人しく逮捕された上で教団の悪質性を供述する』というシナリオ通りの行動をとった」という説もささやかれた。