自分の死亡保険金を渡して助けてやりたかった

・2003年の〈山上徹也〉

4月 広島・江田島の第一術科学校所属の練習船に配属。

・2004年の〈山上徹也〉

秋に兄の生活が困窮し伯父夫妻が援助。母親はたびたび韓国へ行ったきり帰ってこない。伯父が献金額について明らかにせよと統一教会奈良教会に照会。

5月 「統一協会被害者家族の会」ホームページの相談メールフォームへメール送信。

・2005年の〈山上徹也〉

2月 消費者金融で約100万円を借金し、飲み歩いた末、ベンジンとアルコールを摂取し自殺を図る。自殺未遂で救急搬送(海上自衛隊の報告書にはこう記述されている。「統一教会によって人生を滅茶苦茶にされた。兄の生活が困窮しているので自分の死亡保険金を渡して助けてやりたかった」)。佐世保の病院に入院。母親は韓国での教団の40日修練会に参加中で、修練会が終わるまで帰国しなかった。

自宅売却後の山上一家の借家。表札は朽ち果てていた
筆者提供写真
自宅売却後の山上一家の借家。表札は朽ち果てていた

山上徹也の自殺未遂に教団は驚いた

徹也の自殺未遂に教団は驚き、生活援助金という名目で月に30万〜40万円を奈良教会長が毎回持参。この教会長は子ども3人の様子を心配し金銭的な問題を批判したため、後に統一教会の本体から外された。

山上家と教団が協議、合意書により教団が毎月30万〜40万円を返金することになった。2009年までに計2000万円が返金される。

5月 伊丹の自衛隊阪神病院へ転院。伯父の妻が会いに行き、伯父の家で暮らす相談をする。

8月 任期満了により自衛隊退官。

9月 奈良で測量会社のアルバイトに就く。