※本稿は、リチャード・D・ギンズバーグ、ステファン・A・デュラント、エイミー・バルツェル(著)、来住道子(訳)『スポーツペアレンティング 競技に励む子のために知っておくべきこと』(東洋館出版社)の一部を再編集したものです。
「スポーツは子供にとっていいもの」という思い込み
ある教授が、大学院のスポーツ社会学の講義でユーススポーツや心理学の話題を取り上げました。その教授はこんな質問を投げかけました。
「スポーツは人格を形成するものでしょうか?」
この講義には主に教師やコーチ、アスレチック・ディレクター(訳注:高校・大学の運動部の運営管理者。人事担当及び対外的な窓口になる)が参加していましたが、みんなそろって大きくうなずいて見せました。「もちろんです」と全員が答えました。
「では、皆さんがじかに体験なさった、あらゆる悲惨なケースについてもそういえるでしょうか?」と教授は尋ねます。
「惨めな思いをしてきた子供や、怒鳴り散らす親、燃え尽きて競技に喜びを感じられなくなった10代の選手たちの場合はどうでしょう? 『何がなんでも絶対に勝つ』。これはアメリカでは行動規範になっているともいえますが、こうした考え方のために家族関係がぎくしゃくしたり、好ましい行動の基準が崩れてしまったりしたケースはどうでしょう? そしてついには、いじめや乱闘、10代の若者のステロイド使用、審判やコーチやファン、試合そのものに対する侮辱行為といった、選手や親、コーチの起こした不祥事がマスコミの見出しを飾って注目を集める事態になった場合はどうでしょう?」
教授の問いかけは核心を突くものでした。この講義の参加者は、アメリカ人がよく引っかかる落とし穴にすっかりはまっていました。スポーツは子供にとっていいものに決まっている、と何の疑いもなく思い込んでいたのです。しかし、ユーススポーツに関連した不祥事が起こると、冷静な大人たちは改めて立ち返ってその思い込みについて見つめ直します。