現在50代の女性(既婚)の母親は70歳手前頃から、夕食に「ハモの湯引きを作る」と言いつつ、テーブルには生のままの皿を出したり、物忘れが多くなったりして認知機能が衰え始めた。もともと節約家だったが、気づけば父親の退職金はほとんどなくなり、不要な高額保険に加入していた。女性は夫を自宅に残し、実家で両親の介護をする決断をした――。
カーテンを開けようとしているシニア女性の手元
写真=iStock.com/liebre
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

嫌いだった家族

関西地方在住の小窪百恵さん(50代・既婚)の両親は、父親が25歳、母親20歳の時に、卸売業の職場で出会い結婚。母親は結婚を機に退職して専業主婦になり、母親は22歳で小窪さんを24歳で妹を出産した。

父親は、家庭の外では愛想が良かったが、家の中では不機嫌で、子どもたちにとって怖い存在だった。家族を連れて車で出かけるときも、前の車に「はよ行け! ボケ!」などと暴言を吐き、血の気が多く、他人とケンカになることもあった。釣りが趣味で、日曜日はほぼ毎週、一人で釣りに出かけていた。

一方母親は、都会育ちが自慢でプライドが高く、すぐに感情的になり、言葉がきつい人だった。子どもたちのしつけに厳しく、子育てでは子どもに寄り添うことや褒めること、頭をなでる、抱きしめるなどのスキンシップは一切なく、姉妹や友達と比較することが頻繁だったため、小窪さん姉妹の心の傷となっている。料理や洗濯は得意だが、掃除は苦手だった。

子どもの頃から小窪さんは自分の家庭が嫌いで、早く家を出たいと考えていた。高校を卒業後、販売の仕事をしていたところ、取引先の4歳年上の営業の男性と知り合い、20歳ごろに交際に発展。22歳で結婚し、家を出た。

「小さい頃は近場の旅行や、遊園地へ連れて行ってもらいましたが、気難しい父に我慢の母という感じであまり楽しかった思い出はありません。私たちが結婚して家を出ていくと、両親はケンカが多くなり、お互いツンケンしていました」

小窪さんは24歳で長男を、1年後に次男を出産。

息子たちが小学生になると、小窪さんは病院の検査員として午前中のみ働いていたが、息子たちが中学生になると、習い事にお金がかかるようになった。そのため、39歳の時に、家事の経験が活かせるヘルパー2級の資格を取得。午前中は病院、午後はヘルパーの仕事をした。

さらに、46歳で介護福祉士、47歳で介護支援専門員の資格を取得し、ケアマネジャーとして働き始めた。