30代の女性は子供時代、両親は夜の仕事をしており、家でひとりぼっちの時間が多かった。母親は女性に対して呪いの呪文のように「お前は要領が悪い」「家事ができない」などとののしり、人格を否定した。心に傷を負った女性は「私には価値がない」と思い悩み、就職後、メンタルの不調を訴え始めたが、あることがきっかけでなんとか持ち直すことができた。心の支えになったものとは何だったのか――。(前編/全2回)
子犬のダックスフントがソファーからこちらを見つめている
写真=iStock.com/katerinasergeevna
※写真はイメージです

ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。

そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

優柔不断な父親と厳しすぎる母親

関東在住の町田朋美さん(仮名・30代・既婚)の両親が出会った場所は、当時25歳だった父親が店長を務める、東北地方のスナックだった。20歳だった母親は、友達が従業員として働いていたため遊びに行くようになり、いつしか交際することに。母親が24歳の時に妊娠がわかると、両親は結婚。町田さんが生まれた。

町田さんが物心ついたとき、両親はそれぞれ夜の飲食店に勤めていた。0歳で保育園に入園させると、母親は19時ごろに迎えに来た後、車で10分ほどの自分の実家や友人の家に町田さんを預け、そのまま出勤。土日も仕事があるため、祖父母宅に預けられた。明るく社交的な祖母と寡黙な祖父は、畑仕事や山菜の取り方などを教えてくれた。

しかし町田さんが小学校に上がると、平日は祖父母宅には預けられなくなった。学校から帰った後、母親が夜の19時ごろに出勤すると、翌朝の6時まで1人で過ごす生活が始まる。

小学校1年生とは、まだ6歳か7歳だ。母親は夕飯を食べ終わるまでは一緒にいてくれるが、その後は一人きり。一人で入浴を済ませ、明日の学校の準備をし、就寝するが、最初の頃は、夜一人で過ごすことが怖くてたまらなかった。

「犬を飼ってくれたら一人で留守番できる!」と言ってミニチュアダックスフントを買ってもらったが、それでも怖くて母親に言うと、「犬を買ってやったのに!」と烈火のごとく怒られた。一度だけ祖父母の家に自力で行こうとしたことがあったが、車で10分の距離は子どもの足では遠すぎて、途中で断念した。

「常に恐怖を感じていることは、子ども心につらすぎたので、『寂しい』『こわい』『つらい』という感情を捨てました。そう感じること自体、『自分が弱いからだ』と思い、テレビをつけたまま寝たり、『夜一人で過ごせる自分ってすごい!』と自分で自分に言い聞かせたり、『一人のほうが気楽で良いな』と思い込むことで、前向きに捉えられるように工夫し、次第に慣れていきました」

父親は飲食店の店長や副店長を任されるものの、本部の人やオーナーなど、上の人と折り合いが悪くなることが多く、そのたびに転職を繰り返す。そのうえ、父親にはもともと知人の借金の連帯保証人になってしまったことでできた借金があった。にもかかわらず、稼いだお金のほとんどをパチンコや飲み代に使ってしまうため、父親の借金は実質母親が返済する。そのせいでたまった愚痴を、町田さんは物心ついた頃から聞かされ続けていた。

「父は優しいというより、優柔不断な人でした。母はしつけに厳しく、思い通りにならないと、相手の人格を否定するような言葉を平気で口にする人でした。家事にもこだわりがあり、私が手伝っても、母の望むかたちにできていないと、『完璧にできてなければやらないのと同じ!』『勉強ができても気遣いができなければ意味がない!』という言葉をよく口にし、母自身は勉強があまりできなかったようですが、人に助けられながらも、真面目に働いてきたことで評価されて、『自分は仕事ができる』という自信を持って生きている人でした」

町田さんは、父親と2人、母親と2人で出かけることは時々あったが、両親の仕事のシフトがめったに合わないため、家族3人がそろって出かけることはほとんどなかった。

いつしか父親は、他に相談できる相手がいないのか、町田さんに転職の相談をするようになっていた。