一人暮らしを始めて分かったこと

大学3年時、就職先を考える時期になると、母親は、「あなたは要領が悪くて、仕事と生活を両立することはできないだろうから、地元で働きなさい」と言った。だが、地元で一人暮らしができて、かつ条件の良い求人がなく、さまざまな就職説明会に参加したところ、「関東の病院に就職したい」と思い始める。

だが母親が反対するのは目に見えている。7歳の頃から共に過ごしてきた愛犬が高齢になっており、側を離れられないことも悩みの一つだった。しかし、大学3年生で行う実習がすべて終わったタイミングで、愛犬は亡くなってしまう。

「愛犬が、『もう自由に生きていいんだよ』と言ってくれているように感じた私は、案の定、母からは反対されましたが、無事に地元を離れ、一人暮らしを始めることができました」

母親から呪文のように「要領が悪い」「家事ができない」などと聞かされ続けてきた町田さんだが、いざ一人暮らしが始まると、実家で暮らしていた頃よりも、はるかに安らげて、想像以上に楽しいことが分かり、拍子抜けした。しかし仕事のほうはというと、職場になじめず、3年で退職してしまう。

白い看護服を着た女性
写真=iStock.com/key05
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「私はコミュニケーションスキルが乏しく、“報告・連絡・相談”ができないという問題があり、看護師という女性中心の社会になじめませんでした。今思えば、母と関わってきたなかで、『相手の機嫌によって攻撃される』『自分自身の意見は尊重されない』という無意識の思い込みがあり、『誰かに何かを伝える』『他人を頼る』ということが苦手で、『何でも1人でやる』『抱え込む』というクセがついてしまっていたのだと思います」

患者に対しては問題なかったが、スタッフとの関わりが、町田さんにとってはとても難しかった。病棟勤務から訪問看護に転職すると、やはり利用者とは良い関係性を築くことができるが、上司や同僚との関係がうまくいかず、異動を願い出たが、変わらない。

次第に気持ちが不安定になり、心療内科を受診し、漢方の内服をしながら勤め続けたが、主治医から「抑うつ」の診断を受けて、上司に休職の相談をしたところ、休職は認められず、退職に至った。

その後、往診同行と訪問看護の職場に転職したが、やはり、「相談や質問をするのは、新卒であっても当たり前なはずなのに、どうして相談ができないの?」と注意を受ける。町田さんは、そもそも何を質問していいのかが分からず、わからないのが悪いのかと思い込み、さらに抱え込んでしまうため、徐々に残業が増えていく。

そのうちに、会議中に眠ってしまうようになったため、心療内科の主治医に相談すると、「特発性過眠症」と診断。その職場では、「業務の継続が難しい」との判断を受けて異動し、デイサービスと看護付き小規模多機能施設を兼務することになった。

「社会人として、看護師として、『私に価値なんてない』とボロボロの状態でしたが、この頃から、『あなたがいてくれてとても助かる』『あなたはちゃんとできているのに異動になったの? あなたは悪くないよ』『失敗しても、自分のことは自分で褒めてあげなきゃ』と味方になってくれる同僚ができました。それだけでなく、『あなたと話すと元気が出るわ』『あなたは声がすてき、目がすてき』と言ってくれる利用者さんもいてくれます。言葉だけでなく、温かい視線と表情をたくさん向けてくれる人たちと出会えたことで、まだまだ未熟かもしれないけれど、『私は私で良いんだ』と思えるようになりました」

少しずつ自信をつけていった町田さんは、次第に自分の思いや考えを伝えることができるようになっていった。

24歳になると、町田さんは自身の発達障害を疑い、心療内科を受診。検査を受けたが、診断はつかなかった。ただ、「考え方のクセがある」と言われたため、カウンセリングやコーチングを受けてみることにした。