両親の離婚と結婚

町田さんが実家を離れると、両親はその2週間後に別居。しかしその後も、父親に借金や離職などのトラブルがあると、母親から電話があり、延々と愚痴を聞かされ、「何とかしてほしい」と言われる。結局両親は、別居から6年後に離婚。離婚後に母親は、「これで私はあの人と他人になるけれど、あなたにとっては血のつながった親だから、後のことはよろしくね」と嫌味とも自慢ともとれる言葉を投げかける。

町田さんは「勝手な人だな」と思ったが、「母が言う通り、父のことは私が面倒を見ないといけないだろうな」とも思い、言い返すことができなかった。

27歳になり、結婚を意識するようになった町田さんは、マッチングアプリで1歳年上のIT系企業で働く男性と知り合い、2カ月後に交際に発展。

湾岸の近くで手をつなぎながら言葉を交わすカップル
写真=iStock.com/kokouu
※写真はイメージです

そんなある日、父親からLINEと電話で相談があった。「30万ほどお金を貸してほしい」と言う。町田さんが、「何度も借金を繰り返している人にお金を貸すことはできない」と断ると、父親は諦めたようだ。その後、母親に父親から借金の相談があったことを話し、「この先父とは会わないことにする」と宣言した。

29歳になった町田さんは、交際中の男性からプロポーズを受け、両家顔合わせをすることになった。しかし町田さんはもう、父親とは会わないと決めている。そんなとき母親が、「職場の上司を同席させていい?」とたずねてきた。その上司は、町田さんも小さい頃からよく知っている男性だったが、婚約者とその両親からは、「なぜ親族ではない人が同席するの?」と質問を受ける。町田さんがそのまま母親に伝えると、「もう上司に頼んじゃったじゃない!」と電話口で怒鳴られた。

結局、顔合わせは母親一人で来ることになった。顔合わせの日時を母親に連絡すると、「そもそもなぜ父親と婚約者を会わせないの? 親に会わせるのが筋じゃないの? 私だったら30万円くらい貸したわ!」と一気にまくしたてられ、町田さんは驚いた。

「私はもう何度も『なぜ私が父に会いたくないか』や、『どういう経緯で父との決別を決断したのか』を母に伝えていたはずですが、母は全く理解していなかったのだと、そのときに気付きました」

母親の言葉に怒りが爆発した町田さんは、「筋もなにも、顔も会わせられない状況になったのは、あなたたちのせいじゃない!」と叫んだ。

すると母親は、「あんたは頭がおかしい! 二度と顔を見せるな!」と捨てぜりふを吐いて、一方的に電話を切った。

それからすぐに、町田さんのアパートに、町田さんと父親が写っている幼い頃の写真や、町田さんが書いた文集が郵送されてきた。町田さんはそれらを捨てることも片付けることもできず、玄関に放置。

結局両家顔合わせは中止になり、町田さんと婚約者の男性は、入籍だけ先に済ませることにした。(以下、後編へ続く)

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