「ハモの湯引き」をめぐるちょっとした事件

2012年の初夏。47歳の小窪さんと45歳の妹と妹の夫、その娘が実家に集まっていた。

そのため74歳の父親と69歳の母親は、「夕食にハモの湯引きを作るね!」と、はりきった。夕方になると、小窪さんと妹も台所に立ち、それぞれ腕によりをかけたおかず作りにとりかかる。

小窪さんは、自分の料理をしながらも、父親がハモを切って、母親がお湯を沸かしたあと、大皿にシソの葉を敷いているのは見ていた。だが、その後は気にしていなかった。それぞれの料理が終わり、家族が食卓に向かい、母親が大皿をテーブルに置いた時、父親が大声で言った。

「おい! 生やないか!」

湯引きするはずのハモの切り身が、生のまま大皿に並べてあることに気付いたのだ。小窪さんはびっくりしながらも、「えっ? お母さん、お湯沸かしてたはずだけど……」と思い、母親に目をやる。

大声を出された母親は、さっと顔色が変わり、「すぐ、ゆでるわ」と焦った様子で皿を下げた。すかさず小窪さんが落ち着かせようと、「大丈夫、一緒にやろう」と言ったが、母親はなぜか、慌ててコートを羽織り、玄関に向かおうとする。その日は夏日を記録するほどの気温。外に出るにしても、コートなど必要ない。しかもコートは裏返しのままだ。

おかしいと思った小窪さんが、「どこ行くの?」と声をかけると、母親は、「氷買ってくる!」と言う。

小窪さんが、「大丈夫。ゆでた後、冷やす氷ならあるし、上着裏返しやで。上着いらないし、買いに行かなくて大丈夫やから……」と引き止めると、母親は何やら納得行かないような表情。

それでも小窪さんが母親をサポートし、ハモは無事に湯引きされ、みんなで美味しく食べることができた。だが、このとき小窪さんは、母親に強い違和感を抱き、もやもやが拭いきれなかった。

鱧ちり
写真=iStock.com/gyro
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