バカに目撃者はいない

バカという親展をあなたに送ってきたのは、運命だという人もいれば、神だという人もいるでしょう。あなたが受取人というこの状況は、わたしに言わせると、やはり、バカに目撃者はいない、ということになります。

どういうことかというと、バカが現れたとき、あなたは外側から観察しているわけではありません。そのため、あなたが「自分は目撃者だ」と言っても、実際はそうではないということです。あなたは、その人がバカなことと自分は無関係だと言うでしょう。

そうしたらわたしは、その人をバカだと認識したのはあなたなので、あなたにも何らかの関係があると答えます。そういう意味では、こう言われると嫌かもしれませんが、バカとあなたは同じチームの仲間なのです。

あなたはバカを前にしたときに、自分が仲間だと認めたくなくて、頭の中で帰納という危険な間違いをしました(わたしに苦痛を与えるバカは絶対的な「悪」である)。つまり、状況の単一性を消して一般化したのです。

みなさんは、まだキツネにつままれたような状態でしょうか。では、今からとどめを刺すような感じでとてもショッキングなことを書きますが、これを読んで目を覚まして我に返ってください。「バカに目撃者がいないのは、共犯者しかいないから」です。

自分の役目に意識を向ける

つまり、自分もバカの共犯者だということ。これは実に不愉快な考えですよね。わたしもそう思ったことがあるのでわかります。

でも、わたしたちは、自分の体に深々と刺さっているとげを抜かなければなりません。そろそろ痛みの原因を取り除いて、バカのいる状況での自分の役目に、意識を向けなければなりません。

というのも、あなたがすごく怒っていて、その怒りが無駄に強くなっているのは、責任の所在について考えているからです。それを考えることで、バカがバカであることから自分を免罪してほしいのです。

器用にバランスを取り、うまく回していっている人
写真=iStock.com/Nuthawut Somsuk
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あなたは、この衝突を生んだのは自分ではないから、解決するのは自分の役目ではないと思っています。

あなたはこんなふうに思いを巡らせているのではないでしょうか。

《率先して平和を目指すのがわたしの役目だということ? だとしたら、暗にこう言われているわけだ。相手がバカなのはわたしのせいでもある、こんなことになった責任の一端がわたしにもあると。ことを収めるためにこちらが折れて出たら、それを認めることになってしまう。》

いいでしょう。あなたが抵抗するのも当然です。バカがバカであることの道義的責任は、間違いなく向こうにあります。それはわたしも同感です。それに、衝突の原因は常に向こうにありますし、バカなのは確実に向こうです。

でも、そこを重要視するのは間違いです。このバカはもうあなたの人生に出現してしまったのですから、もはや嘆いている場合ではありません。あなたが、向こうが悪いということにこだわるのなら、それはそうかもしれませんが、この人生はあなたのものです。