※本稿は、島田裕巳『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
新宗教が必要とする政治力
戦後の日本社会において、新宗教は驚異的な発展をとげた。多くの信者を集め、なかには世間をあっと驚かせるような巨大な建築物を建てたり、莫大な数の信者を集めてイベントを開くようなところもあった。街角に出て積極的な勧誘活動を展開する教団も少なくなかった。
そして、創価学会や生長の家のように積極的に政治の世界に進出していく教団も現れた。新宗教の連合体である新宗連も、創価学会が公明党を結成し、国政にまで議員を送り込むようになると、それに対抗する形で、その関係者が自民党から立候補するようになった。
宗教は、人々のこころの平安に資するべきものだという見方はある。だが、新宗教となると、現世利益の実現をうたい、生活を豊かにすることを信者に説いてきた。豊かさは、根本的には信者個々人の努力によってもたらされるものではあるが、生活苦にあえいでいるような人々には政治の力も必要である。
政治の恩恵を受けられなかった人々の救いとなった新宗教
戦後、新宗教が伸びたのは、高度経済成長の産物である。その時代、多くの人たちが地方から都市へと出てきた。都市の大学への進学を目的にした人たちは、やがて大学を卒業し、エリートとして活躍できた。そうしたエリートは政治を動かすことができたし、その恩恵を被ることもできた。
しかし、新宗教に吸収されていった小卒や中卒の人間は、直接に政治を動かすことはできず、生活の安定を実現することさえできなかった。そのとき、新宗教は膨大な数の信者を背景に政治の世界に進出し、政治の恩恵を受けられなかった人々を救おうと試みたのである。
急激な経済の成長で、日本の社会は大きく変わり、さまざまな問題が生じ、矛盾が露呈することになった。労働組合のストライキが頻出したのも、そのためだが、労働組合に結集できない人間たちには、新宗教が唯一の頼りだった。もし新宗教が彼らを救わなかったとしたら、あるいは、彼らを組織しなかったとしたら、社会問題はさらに拡大していたかもしれない。