相手に与える影響の善しあしは何で決まるか。元外交官で作家の佐藤優さんは「キリスト教を生んだ『感化の力』とカルト宗教を生む『洗脳』の違いは、そこに自己犠牲があるかどうかだ」という――。

※本稿は、佐藤優『君たちの生存戦略 人間関係の極意と時代を読む力』(ジャパンタイムズ出版)の一部を再編集したものです。

お祈りしている女性
写真=iStock.com/Tinnakorn Jorruang
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私の価値基準の根底に「キリスト教を信じる」母親の言葉

相手に影響を与えるための有効な方法に「感化の力」があります。

私自身、今の自分の価値基準や考え方の根本に、多くの人からの感化があります。私はプロテスタントのキリスト教徒ですが、それは私の母親の影響(感化)が決定的でした。

沖縄の久米島で生まれ育った母親は、太平洋戦争の壮絶な沖縄戦で九死に一生を得ました。その中で絶対的な神の存在を確信し、キリスト教徒になりました。

「わたしが沖縄戦で死んでいたら、あなたはこの世にいなかった」とよく話していました。そして、「神様からもらった命だから大切にしないといけない。イエス様がしたようにはとてもできないけれど、自分の命を人のために役立てる生き方をしないといけない」と話していました。

母親の言動によって感化されることで、私自身の人格の根っこにキリスト教の教えが自然に沁み込んでいったように思います。母に連れられて日曜日にはよく教会に行きましたが、そこで会った信者の人たちや牧師さんにも大いに感化されました。

直接キリスト教の教えに触れるよりも、キリスト教を信じる身近な誰かの存在によってより強く影響を受けたと言えると思います。

これはキリスト教に関してだけでなく、その後の私の読書体験、勉強やその他の体験に関しても同様です。国語や数学などの勉強に関しては、塾の先生の影響がとても大きかったですし、マルクス主義に関しては、塾の先生だけでなく母方の伯父の影響がとても大きかったです。

人は何ものかに影響され変容した人物に直接触れることで、同じような変容を遂げることが往々にしてあります。その人が持つ存在感や、雰囲気、波動、そしてオーラのようなものが、自分の中の何かと共鳴するのかもしれません。