弱体化した旧統一教会

旧統一教会は、高度経済成長の時代に信者を増やしたわけではない。そもそも日本で旧統一教会の信者が増えたのは1960年代後半からで、最初は、教義である統一原理に関心を持ち、なおかつ反共運動に関心を寄せる学生が多かった。それが、80年代になると、合同結婚式による結婚を望む女性の信者が増えていった。

しかし、冷戦構造が崩壊したことで、反共運動の意義は薄れ、反共という政治的な動機から旧統一教会に入信する人間はほとんどいなくなった。さらに、合同結婚式を含め、教団のあり方はさまざまな形で批判されており、多くの信者を獲得できる状況ではなくなっている。1990年代はじめに旧統一教会のことが大きな話題になった時期に比べれば、かなり教団は弱体化しているはずだ。

合理主義によって失われた新宗教の武器

そもそも平成から令和へと時代が移ってくるなかで、合理主義の傾向が強まっている。日本の宗教の核心には先祖崇拝があるが、生活のあり方が変わることで、先祖の重要性は低下し、先祖崇拝自体が衰退の傾向を見せている。農家なら先祖は重要だが、仕事を受け継がないサラリーマン家庭では、先祖は重要性を失っている。

先祖崇拝が盛んだった時代には、先祖を供養しなければ、その霊が祟るという感覚が広まっていた。新宗教のなかには、こうした祟りの信仰を背景に勢力を伸ばしていったところが少なくない。創価学会にはその面は希薄だが、同じ法華、日蓮系の立正佼成会、霊友会だと独自の先祖崇拝の形態を作り上げることで信者を増やしていった。旧統一教会が霊感商法を実践できたのも、先祖が祟るという感覚が社会にあったからである。

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また、病気治しということも新宗教の大きな武器だった。それは、民衆宗教の時代から変わらない新宗教の特徴でもある。

だが、医療技術の発達、衛生環境の向上によって、新宗教に病気治しを期待することが少なくなった。病に陥れば、新宗教に頼るのではなく、病院に行く。かつて天理教が説いたように、「ビシヤツと医者止めて、神さん一条や」などという教えは成り立たない。天理教でも、1966年に天理よろづ相談所病院を開設している。名称からは、いかにも宗教団体が運営している医療施設のイメージがあるが、現在では地域で有数な近代病院になっている。立正佼成会でもPL教団でも、同様に病院を設置している。