人々が信奉する陰謀論

こうした社会の変化が、新宗教の存在意義を失わせることに結びついている。これから、新宗教が再び信者を増やしていく可能性はほとんどない。実際、新宗教のなかには、消滅の危機にさらされているところも出てきている。あるいは、巨大な教団の施設を維持することに困難をきたしているようなところもある。

主に創価学会の会員の寄進によって建立された日蓮正宗の総本山、大石寺の正本堂は、1990年代はじめに両者が決別した後、98年には解体されている。創価学会の会員が登山しなくなることで、巨大な施設が不要になったこともあるが、維持費が年間10億円かかることも大きかった。施設の規模が大きければ、それだけ巨額の維持費がかかるのである。

以前、熊本県波野村(現・阿蘇市)にあったオウム真理教の施設を取材に訪れた折、近くにあったネズミ講の組織、「天下一家の会」の本部が朽ち果てたまま放置されている光景に接した。あるいは、これから新宗教の巨大施設が同じような状況におかれるかもしれない。

陰謀論の定義と英語で書かれた辞書
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ただ、新宗教が衰退したからといって、幻想の政治学が一掃されたわけではない。むしろ、かえってそれは一般の社会に広がっている。それが「陰謀論」の流行である。世界は、隠れた組織によって実は操られている。そうした陰謀論を信奉する人々が増えている。

そこには、多くの人たちが自分を支えてくれる集団を失い、孤立化してきたことが影響している。高度経済成長の時代には、新宗教だけではなく、さまざまな組織が圧力団体として機能していた。農協や医師会、遺族会、労働組合などである。そうした組織にかかわっている人の数は多く、人々は組織を通して政治と結びついていた。

力を失う圧力団体

現在では、こうした圧力団体は、どこも力を失い、そこに組織される人の数も減っている。また、都市では地域共同体はそれほど発達していない。企業は、一時、相互扶助組織としての性格を持っていたが、非正規雇用が増えることで、その性格を失ってきた。

多くの人たちが、自分を支えてくれる集団を失い、孤立化している。そうした人間の目からすれば、新宗教は不気味で、その組織力によって政治の世界を動かしているように思えてくる。旧統一教会への批判が盛り上がりを見せた背景には、そうした心情がある。それは、創価学会に対する警戒感、あるいは嫌悪に結びついていく。